遠慮はせずとも節度は保とう。お互いが安心できる距離感の維持には、適度な緊張が必要。
■相手を尊重して押しつけをしない
どんなに身近で大切な相手であっても、これ以上は入ってきてほしくないという心の領域はある。
心の領域だけじゃない。生活スタイルや価値観など、そこばっかりは譲れない。いくらあなたのためとはいえ変えられない。ということはある。
とはいえ、関係が深まってくると、そのへんいろいろ言いたくなる。突っ込みたくなる。自分の考えを相手に押しつけたくなる。考えだけじゃなく生活スタイルも。
相手を自分と同一視しはじめたら要注意。どんなに近い相手でも、それが親子であろうが夫婦であろうが、親友だろうが他人は他人。自分とは違う個性を持った別の人。
だからと言って遠慮をすればお互い苦しい。親しい中だったら遠慮はしない。こうしたい。こうしてほしい。これはやめて。これは許せない。思っていること言いたいことは言えばいい。
でも押しつけない。相手の考えは尊重することですよ。相手にも考えがあるし思いもある。言いたいことはあるでしょう。一方が一方に押しつけるのは対等な関係じゃありませんわな。
だから節度を保つんです。相手のパーソナリティを尊重して、自分の考え方、自分の生活スタイルを押しつけない。自分こそ正義だと言わんばかりに強制しない。入ってこられちゃ嫌な領域に足を踏み入れないことでしょう。
もちろん、お互いの利害が真っ向から対立することもある。お互いが譲れないということもあるでしょう。そこはもう大人の対応での話し合い。バーターにして、これは譲るからここは譲って。そんなやりとり。それこそ遠慮のない話しあいをすればいい。
<参考過去記事>
正面から向き合って話し合えば解決できる。向き合わないからお互い疑心暗鬼になる。
それでもホントのホントに譲れない、お互いの生き方の核心を揺るがすようなことで、対立するようであれば、そこは縁がなかったということでさようなら。次なる出逢いを求めて積極的で建設的な別れも選択のうち。
■大切な人だからこそ遠慮せず節度を保つ
人との関係が深まれば深まるほど、相手のことを自分と同一視してしまいがち。もしくは相手が無条件に自分を受け容れてくれていると思ってしまいがち。
言っておきますがね。無条件じゃないですよ。無条件にすべてを受け容れてくれる人なんかいないから。個々人が意識的にか無意識的に設定された、条件の範囲内で収まっている場合に限って、受け容れてくれているだけだから。
遠慮なく言うこと、遠慮なく求めること。それはいいんです。お互いに思っていることはできる限りオープンにすべきでしょう。でもそれは強要しない。押しつけない。誰だってそこまで受け容れているわけじゃないから。
遠慮なんていらないから。そう言われて遠慮をしないところまではいい。ただそこでいきすぎて節度まで忘れてしまうから、それがだんだん相手へのプレッシャーになって疲れさせて気づいたときにはさようなら。
疲れさせない場合でも、結局お互いの主体性が無くなって、緊張感さえかけらも感じない単なるグダグダの傷の舐め合いもたれあい。やがてお互い虚しくなって気づいたときにはさようなら。
本当にその人との関係を維持したい。その人を心から大切だと思う。そう考えるなら、ちゃんとお互いの間に緊張感維持できるような距離感を保つことですよ。押しつけやグダグダの馴れ合いではなくて。
図解あり/心地良い距離感を保てる相手は信頼できる。心地良い距離感が崩れると信頼関係も崩れる
遠慮はいらない。節度を保つ。当たり前のことなんですがね。どうもお互いの関係がギクシャクしているなあと思うことがあれば、この当たり前のことを見なおしてみるといいかもしれませんな(^。^)y-.。o○
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