強い信頼と絆で結ばれたければ、誤解や衝突を恐れないこと
■誤解を避けようとすると誤解される
言葉というのは難しいもので、受け取る側の都合によって解釈はいくらでも変わるもんです。
それが微妙で曖昧な表現であればもちろん、どんなに論理的正当性があったり、結論のはっきりした話しだとしても、
受け取る側の気分や態度によって、誤解されることがあるというのは、不条理な気もしますがある意味しょうがない。
もちろん、そうならないように、言葉を確実に相手に『届ける』努力は必要だし、その労は惜しむべきではない。それでも、誤解がゼロになることはない。
だからと言って、誤解を恐れて言いたいことが言えない、伝えたいことが伝えられないのであれば、信頼が深まるどころから、不審感が募るだけ。
しかも誤解されないようにされないようにと、遠まわしな説明を延々としたところで、むしろ突っ込みどころが増えるだけ。伝えたいことを正しく伝えるどころか、むしろ逆効果になることもよくありますわ。
だから、どっかで開き直るしかない。誤解されても構わない、と。
一時的な誤解があったとしても、時が過ぎれば必ず解ける。
本当に心からの想いを込めた言葉であれば、必ず伝わる時がくる。
それに言葉以上に行動で想いを示すことができれば、誤解されている時間なんて思ている以上に短いもんです。
誤解を恐れてまどろこっしいこと言い方したおかげで、話しをさらに複雑にするくらいなら、誤解されても構わないくらいに、言いたいことははっきり言ったほうがいい。
まあ、実のところ、そのほうが結果的に誤解されずに済むことのほうが多かったりするんですがね。
相手に嫌われないよう、誤解されないよう、慎重に言葉を選び、言葉を重ね、結果的にグダグダになるほうが、むしろお互い傷つかなくてもいいようなことで傷ついたりするもんです。
とはいえ、これも状況によりけりで、慎重に言葉を選んで、言葉を重ねたほうがいい場合もあるのは当たり前。そもそもこの記事自体が少しまわりくどいし・・・
そうしなくてもいい場面でそうするのは無駄だし、むしろ誤解の温床になるということですわ。
■心からそう思っていればわかってもらえる
衝突でも同じこと。
何言ったって衝突は起こる。
いや、むしろ衝突が起こるほうが健全で、衝突しないで陰でネチネチやるほうがお互い百害あって一利なしですわ。
だから衝突を避けようとまわりくどいことやるほうが、結果的に誤解を生むし、もやもたしたまま臭いものに蓋を閉じたことになるだけですよ。
だから衝突や誤解は恐れない。つーか恐れる意味ない。
だって恐れて避けたほうが損することが多いんだから。
ただ重要なのは、そこに偽りが無いこと。
心からそう思うこと。ちょっとでも利害計算して打算で逃げようと思わないことです。そしてそれが、私心なく心から相手のことを思っているかどうか。
もちろんどんなに相手のことを思ったところで、価値観や考え方が異なる以上は、受け容れてもらえないこともありますよ。それが誤解や衝突になることもありますわ。
でも、時が過ぎたとき、お互い冷静に頭を冷やして考えたとき、それを受け容れてくれるかどうか別にして、必ずわかってもらえる。気持ちは伝わる。
考え方が一致することもあればしない部分もある。でもそれを超越して、信頼し合えるところは信頼し合える。強い絆で結ばれる。それってそういうことでしょう。
お互い上っ面の綺麗事で傷を舐め合うようなやりとりしてたころで、信頼なんか生まれないし、絆なんか結ばれない。
だから誤解や衝突は恐れない。むしろ誤解や衝突を通じるからこそ、強い信頼と絆で結ばれるってことなのでしょうな(^。^)y-.。o○
正しく気持ちを伝えつつ、誤解や衝突から信頼関係を結ぶ方法
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