愛は受け入れたときに力を生む。愛を注がれても、拒めば何も生み出されない。
■皆、必ず誰かに愛を注がれている
どんなに悪いことしたとしたって、世の中のすべての人が、あなたを憎悪の対象とすることはないでしょう。
そう。結局のところ誰であれ、必ずどこかの誰かが好意を、そして愛を注いでくれているもんです。
とはいえ、その好意にしたって、愛にしたって、受け取る側がそれを受け止めなければ意味がない。
もちろん、その愛や好意の形はさまざま。言葉なのか行動なのか。それとも気持ちなのか。
それが何であれ、受け容れる意思を示さなければ、愛も好意も意味をなさない。
そしてやがて注ぐ側も面倒になって疲れて終わり。
せっかく愛や行為を注いでもらったところで、それに気づかなければ、いや、気づいていても答えなければ、受け容れる意思を示さなければ、やがて相手にされなくなる。
別に全部を受け入れる必要はありませんがね。
嫌いな相手、そもそも受け容れたくない相手の愛なんかは拒否してOK。拒否すらしないで華麗にスルーも全然OK。
その一方で、誰からも愛されていない、好意を持たれていない。そんな孤独を感じてしまうときは、あらためて考えてみたほうがいい。
注がれている愛や好意を見落としていないか。
気づいていても受け入れを拒んでいないか。
<参考過去記事>
あなたは孤独じゃない。あなたが誰かのことを考えているように、誰かがあなたのことを考えている。
冒頭にも書きましたがね、すべての人に嫌われたり憎まれたりするのは無理。誰かが必ずあなたに愛を注いでいる。誰かが必ずあなたに好意を抱いているんです。
■そこにあることに気づくかどうか
だからまずは受け容れる。
拒んでいるつもりはなくとも、小さなことを見落としていないか。ささやかな愛でもスルーしてしまっていないか。
褒められたら素直に受け止めればいい。
ありがとう。
力を貸してもらえたら感謝を伝えればいい。
ありがとう。
まず受け入れることです。
いや全然そんなことないですよー、とさりげなく拒否らずに。こいつ何か企んでないか、といちいち腹を探らずに。
その上で感謝を言葉で伝え、行動で返せばいい。それによって価値が生まれる。新しいことが起こる可能性が芽生えるんです。
鬱陶しい相手だったらそれこそスルー。でもそうでないなら受け入れる。受け止める。感謝する。
そこではじめて愛を感じることができるんです。好意を感じることができるんです。誰だって必ず誰かに愛されてる。それに気づいているか。受け容れているか。その違いだけなんです。
そして愛や好意に気づければ、受け入れられれば優しくなれる。気持ちに余裕が生まれる。だから今度はあなたが誰かに愛を注げる。まさに愛の好循環。愛のコークスクリュー。
ところで、としまえんのコークスクリューってまだあるのかしら?
さて、その一方で相手にきちんと気づいてもらえる、受け容れてもらえる愛の伝え方というのも、課題としてあるわけですが、それはまた別の機会に。
まあ、そこに愛があるかないか。それは、そこに愛があることに気付くかどうか、受け容れるかどうかの違いということだけってことですわな(^。^)y-.。o○
この週末は新潟にいます。草だんご食いまくり。
↓
■全国セミナー・講演会開催予定(小川担当分)
https://ogawakenji.com/seminar