五感を通じた体験は、事前の予想を上回る。やってみること行ってみることで五感が刺激される。
■予想では体験できない
やってみなけりゃわからない、行ってみなけりゃわからない、とはよくあることですが、やってみなくてもわかることはある。
なので、何でもかんでもやりゃあいいかといえばそうでもないでしょう。
冷静に論理的な推論を重ねれば、ある程度の結論は想定できるし、それが高い確率でやるだけ無駄なことであれば、やる必要はあまりない。
まあやっても無駄ということでしょう。いろいろな意味で。
とはいえ、一方ではどんなに冷静で客観的に、論理的な推論を重ねたところで絶対にわからないことはある。
それが五感を通じての体験。
あの街には何があるのか知ってるし、そこに行けばどういう体験ができるかの予想はできる。そしてその予想はだいたい当たってる。
が、実際に行ってみると、明らかに予想と違う。
それが良かったか悪かったかは別にして、はじめの予想では思いもよらなかったと感じることは少なくない。
あの人はどんな人かを知ってるし、会えばどういう話しを聞くかの予想はできる。こういう予想もだいたいは当たってる。
が実際に会ってみると、まったく予想と違う。
これも善し悪しは別にして、予想では思いもよらなかったことを感じることがある。
そりゃそうです。
実際の体験には、予想には無い、五感全てを通じて感じる情報があるから。
物理的な事象のみに関わらず、その場そのときの空気を五感を通じて感じることができるので、予想とは違った感想になる。
■迷うくらいならやればいい。行けばいい。
なので、やってみなくても、行ってみなくても結論としての予想できる。が、五感を通じての体験は実際にやってみないと、行ってみないとわからない。
その場そのときその空気は、肌で、匂いで、光で、音で、味で実際に感じてみることは、あらかじめ頭の中で考えていることとは全然違うもんです。
だからこそ、実際に体験してみることで視野が拡がることもあれば、新しい気づきや学びを得られることがあるのでしょう。
やってみること、行ってみること。その体験の「プロセス」を経て得られる「経験」にこそ意味があるというもんですな。
もちろん、冒頭にも書いたように、何でもかんでもやればいい、行けばいいかといえばそうではない。人生の時間に制約がある以上、できること行けるところも限られる。そこは大人の対応で。
最終的には自分の好き嫌いで、やるかどうか、行くかどうかを決めればいい。
<参考過去記事>
あれこれ迷ったときは小難しいこと考えない。好きか嫌いか、心地良いか悪いかで決めればいい。
誰だって何度も過去に体験したことあるはず。
正直気乗りしてなかったんだけど、この旅行来てみたらすっげー良かったー。
会うの避けてたんだけど、この人にもっと早く会っておけば良かったー。
みたいなこと。
確かに事象として起こっていることは予想の範囲内かもしれない。が、五感を通じて感じる実際の体験は予想と異なることが多い。
まあそれが良い場合も悪い場合もあるかもしれませんが、そのすべては経験として自分の価値に還元できると考えれば、すべて意味のあることでがね。
それがどんなことであれ、少なくともどうしようか迷うくらいの関心があるならば、まずは行ってみる。まずはやってみる。
それで損することって実のところあまりありませんもんね(^。^)y-.。o○
こちらも体験してみるといろいろ視野が拡がるかもしれません。
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