あれこれ迷ったときは小難しいこと考えない。好きか嫌いか、心地良いか悪いかで決めればいい。
■考えて結論出るなら考える
毎日生活していれば些細なことから重要なことまで、いろいろ迷うことというのは少なくない。
まあ別に迷うことの全部が全部悪いわけではないでしょう。迷うプロセスが楽しいという場面も少なからずあるわけだし。
なので、ちょっと迷ったくらいで自分を優柔不断だと決めつけて、セルフイメージをネガティヴにする必要もありませんわな。
とはいえ、考えたってしょうもないことを、いつまでもずるずると考えてるのは、それこそ時間の無駄。
もちろん、考えて結論の出ることならいくらでも考えればいいんです。論理的思考から導かれる、妥当性のある結論を選択するのは当たり前。
じゃあ論理的にいくら考えたって、結論の出ないことについてはどうするか。現実社会の中じゃそっちのほうが遥かに多い。
だから悩むし考えてしまうんですがね。
明確な目標があったとしたって、どっちの道を通ればその達成に近いのか、考えてわかることもあるけれど、考えたってわからないことのほうが多い。
だから最後は好き嫌い。心地良いか悪いかで決めればいい。別の言い方だとインスピレーション。っつーかそれ以外にないでしょ。
ちょっとばかり「えいやっ」という気合が必要かもしれませんが、結局のところ未来のことなど誰もわからない。だから悩むし考える。だから最後は好きか嫌いか、心地良いか悪いかで決めればいい。
■せっかくだから笑えるほうがいい
そんときゃ他人の意見もあてにしないことです。もちろん傾聴に値すべき話しなら参考にすればいい。でもそうじゃなきゃ華麗にスルー。
あくまで自分の決断。自分の選択。自分が好きか嫌いか。心地良いか悪いか。
まあそれに他人の意見は聴けば聴くほど迷いが膨らむし、意見なんて軽くて吹けば飛んでいってしまうようなもんです。
<参考過去記事>
他人の言葉や行動なんて気分です。偉い人にはそれがわからんのですよ。
そして結果は自己責任。
いいんです。自分で好きで決めたことなら、凹むことはあっても納得はできるから。泣いても反省して次のことを考えられるから。
自分で決めないまま、なんとなく他人の顔色で判断したり、なんとなく決めずに時間だけ過ごしてしまうと、残るのは後悔くらいなもんでしょ。
それに何より主体性を放棄してやることなんか、ぶっちゃけ面白くもなんともない。せっかくやるならゲラゲラ笑うことはないにしても楽しくやりたいもんですわ。
だから必要なことは考えればいい。そうして最後は「えいや」で決める。その基準は好きか嫌いか。心地よいか心地よくないか。
単純なことではあるけども、それだけで止まっていることがずいぶんと先に進むもんですわな(^。^)y-.。o○
好き嫌いの価値基準を自分の中で鮮明にさせる方法
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