相手のことを想うからこそ言葉にできる。自分のことを守ろうとするから言葉にできない。
■守るべきは誰か
言葉にできるかできないかは、もちろん状況によって異なるでしょう。
伝えたい想いは、できる限り言葉にしたほうがいいものですが、なんでもかんでも言葉にすればいいかと言えばそういうことでもない。
とはいえ、往々にして言葉にできなくなるのは、相手のことを想うからではなくて、自分のことを守ろうとするからという視点で考えてみると、ちょっと違うものも見えてくる。
あ、ちょうど昨夜やってたナポレオン・ヒル勉強会でも同じ話題になってたので、参加してた人にとっては少しかぶるかもしれまん。
これを言ったら相手に嫌われるかもしれない。
これにNOと返されたら自分が傷つくかもしれない。
うまく言えなくて恥ずかしい思いをするかもしれない。など。
結局のところ、喉まで出かけた言葉を飲み込んでしまうのは、自分自身のことを守りたいという欲求があるからでしょう。
相手に失礼かも。相手が嫌がるかも。
でも失礼だと決めるのも、嫌がるかどうかを決めるのも、あなたじゃなくて相手でしょ。
要するに、言うことで結果的に自分が相手に嫌われること、傷つくことを恐れているだけ。
冒頭にも書きましたがね。何でもかんでも言えばいいかといえばそうじゃありません。時と場合によるのは当たり前。
でもね。何かを相手に伝えたい。それが相手のためだと心から確信を持てるのであれば、迷わず言えばいいんです。
その結果一時的に嫌われること、傷つくことがあったとしても、本当の本当に純粋に相手のためを想って放った言葉であれば、結果的に意見の溝は埋まらなくても、人としての信頼関係は深まりますよ。
言ってる意見には賛同も承認もできないけども、心から自分のことを想って言ってくれているのだと伝われば、その人を嫌おうとは思いませんわな。
それを中途半端に自分の身を守ろうとしながら、遠まわしな言い方で引き気味になりながら言うから、何を言いたいのかわからなくなる。
だから、真意は伝わらないわ、イラつかれるわ、嫌われるわ、結局また何かを言いづらくなるわの悪循環に陥るのでしょう。
■そこに私心がないかどうか
ここで重要なことは、心から相手のことを想っていること。相手本位であって自分本位じゃないこと。
つまりは私心がないことでしょうな。
頭の片隅で電卓はじきながら、こう言えば俺にとって得になる、こういえばこの人をコントロールできるみたいなこと考えたところで見透かされるだけ。
それに、単に相手のためと口では言いながら、単に自分が口にすることで自己満足に浸りたいだけなんてのはもう最悪。結局自分のことかよ。みたいな。
そういうよこしまな考え一切無くして、心から相手のことを考えてのことであれば、言ったって大丈夫ですよ。っつーか言うべきでしょ。もちろんコトと次第にはよりますが。
何より、そう思って相手に言う言葉には自信が伴いますよ。信念が伴いますよ。だから相手に気持ちが伝わるんです。
まあ言葉にして伝えられれば、問題の多くは解決できますしね。
<参考過去記事>
ありがとう。愛してる。その一言で問題のほとんどは解決できる。
そこに意見の相違もあるかもしれない。言葉の内容には理解や同意をしてくれないかもしれない。でも気持ちは伝わる。思いは伝わる。そうやって言ってくれる人は信用できるし信頼できる。
口がうまいとか下手とかそういうのは一切関係ないこと。言葉を知ってるとか知らないとかも無関係。
ただ相手のことを思えるかどうか。そこに確信を持てるかどうか。口にできるかどうかの違いの多くはそういうことなのでしょうな(^。^)y-.。o○
伝えたい思いを相手に伝える具体的な方法はこちらでどうぞ。
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