好かれようとして偽りの自分を演じたところで嫌われる。自然体でいることを好きでいてくれる人がいればいいでしょ。
■好き嫌いも人それぞれ
世の中にはホントにいろいろな人がいるもんです。僕も仕事柄もあってホントにたくさんの人に会いますが、まさに千差万別みんな違ってみんないい。
極論で言ってしまえば変わってない人なんて誰一人いませんよ。みんな変わってる。あなたも変わってるし、僕だって変わってる。
どこにでもいそうな若者という印象。なんて言ったりしますが、ホントに同じ人なんかどこにもいませんよ。あくまで最初の印象がそうなだけで中身は全然違うじゃないですか。
現代人は没個性でどーたらこーたら、みたいな評論も総論としてはそういう傾向があるかもしれない。でも結局個人レベルでの個性なんてどう考えたって違うんです。
みんな違う。見た目も違うし、趣味も違う。育った環境も好きなものも嫌いなものも違う。そして何より好きな人も嫌いな人も違うんです。
あなたがどんなに性格良くて優しくて、見た目もバツグンだったとしても、あなたのことを嫌いな人はいる。
あなたがどんなに極悪非道で、見るからにアレな風貌だったとしても、あなたことを好きな人はいる。
何やったって好かれる人には好かれるし、嫌われる人からは嫌われるんです。
にも関わらず、誰からも嫌われないようにしようとするから、とってつけたような面白くもなんともない綺麗事の話しをしてみようとしたり、その場しのぎの付け焼刃で普段と違うことやって失敗する。
だから動きが不自然でぎくしゃくすることになったり、ここぞというときに言うべきことが言えなくなる。
<参考過去記事>
相手のことを想うからこそ言葉にできる。自分のことを守ろうとするから言葉にできない。
良く思われたい、悪く思われたくない。
そんな考えが先行するから、話すときに無駄に緊張する。うまく話せなくなる。余計に緊張してさらに話せなくという悪しき無限ループ。
大丈夫。どんないいこと言ったって、どんなに綺麗な言葉を使ったって、嫌われる人からは嫌われる。っつーかそれ以前に誰も何とも思わないし。別にあなたにも僕にも注目してない。
■素のあなたを見せればいい
当たり前ですがね。何でも思ったことを言えばいいってことじゃない。時と場合によっては嘘でも綺麗事で済まさなきゃいけないこともある。社交辞令も必要ですわ。
営業上だってやっていいことと悪いことはある。そのあたりは大人の対応も必要でしょう。
それに、いくら嫌われたって平気だと言っても、無用な衝突を起こす必要はないし、わざわざ攻撃される材料を提供する必要もありませんわな。
人はみんなバカじゃない。その場しのぎのご機嫌取りトークや、自分を大きく見せようなんていう言動はすぐに見透かされますよ。
素の自分を出してそれで嫌われるならいいじゃないですか。その場作った仮の自分で万一好かれたところで、あとで素がバレたときにがっくりされるだけ。
だからいいんです。等身大で。そのまま自然体で。
雪山にこもって歌えばいいんです。レリゴー♪レリゴー♪
それにね。そこで嫌われたとしても、もし縁がある人ならその場じゃ切れませんよ。またつながりますからあまり気にしないことです。
<参考過去記事>
魂のふれあいを感じる相手との縁はなかなか切れない。その場で焦らずじっと関係を深めていけばいい。
今さら使い古された言い方になりますがね。素のあなたを信頼してくれる、受け容れてくれる、認めてくれる人を大事にすることが一番じゃないですか。
そうでもない人のために自分を偽っても疲れるだけだし、その偽りの自分から開放されると、あらあら不思議。人前でも言いたい放題やりたい放題。
余計なストレスからも開放されるだけでなく、本当のあなた自身のことが表に出ることで信頼してくれる人も増えるでしょう。
もちろんあなたを嫌う人も出てくるでしょうが、それによる具体的な支障が出なければ関係ない。そこで使うエネルギーを、あなたのことを受け容れてくれる人に向ければいいだけですしね(^。^)y-.。o○
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