お互いが主体性を発揮する、緊張感ある関係だからこそ価値がある
■依存の無限ループからは何も生まれない
お互いが支え合うのは大切ですが、依存し合うのなら、そんな関係意味がない。
いやまあ意味がないこともないでしょうし、それで癒されることもあるのでしょうが、少なくとも進歩と成長というところからは、離れているのは間違いない。
だからそういう関係は階段の踊り場でしかないんです。ちょっと小休止。でもそこで終わりじゃない。
上に昇るには、自分の足を使うしかないんです。おぶってもらうこともできるでしょうが、それも結局のところ依存してるだけ。そのうち相手が疲れて放り捨てられるのがオチですよ。
そして心が折れて依存する。
その無限ループですな。
まあそういう人を相手にする人ってのも、そもそも成長を求めているわけではなく、依存している人を助ける俺かっけーってことで、これもまた依存の一つなんですがね。
まさに馴れ合いもたれ合い。
というわけで久々によくわかる図解で説明するとこんな感じ。
主体的に自分の足で歩こうと思わずに、相手に依存しきってしまえばこうなるのは当たり前。そして心が折れて、また誰かに依存する無限ループ。
まあもっと言ってしまえば、こういう人はそんな無限ループに陥っている自分が好きだったりするんですけどね。
誰も私を支えてくれない! 誰も僕を助けてくれない!
そんな悲劇に遭遇している可哀想な私って結構いけてる・・・みたいな。
っつーかホントめんどく・・・あ、いや、なんでもありません。
まず自らが主体的に歩く意志を持って歩く。そしてお互いが力を必要とする場面において、助力しあえるからこそ目標へ近づくし、お互いが成長できる。
つまりこういうことでしょう。
自分も他人も主体的に前に進もう、成長しようとして行動すること。
そしてその力を補完し合うことによる相乗効果で、前進したり、自分を成長させたり、目標を達成できたりするということでしょう。
<参考過去記事>
付き合いはじめてから、お互いがどの程度成長しているかを考えてみると、その人間関係の位置づけがよくわかる
それは対個人では当然のことですが、対組織でも同じこと。
なんとなく惰性でもたれ合ってる個人と組織の関係からは、新しいことは生まれない。
単に組織におぶさってるだけの個人はそのうち放り出されるし、個人におぶさってる組織はやがて瓦解するのがオチですよ。
■すべては自分の決意から
何度も書きますがね。
他人は他人。依存してみたところで、責任は取ってくれない。それどころか依存したところで、それは自分の人生を生きてることにはならない。
依存させるほうもさせるほう。
依存させたところで、それは相手の可能性の芽を摘むことにしかならない。それに、どうせ後で重荷になって放り出すならその場の自己満足で最初から背負うなと。
お互い依存の関係なんてのは、それこそお互い傷の舐め合いもたれ合い。その場しのぎ、その場限りの慰めにしかすぎませんわ。
<参考過去記事>
他人の人生を生きるのか、自分の人生を生きるのか
だから他人がどうとかこうとかは関係ないんです。
自分でやると決めればいい。進むと決めればいい。何があっても自分の責任で自分でケツ拭くという覚悟をすればいい。
そうすれば、同じように考える人にめぐりあう。これ間違いない。
依存したい人は、依存させたい人を引き寄せるんです。
依存させたい人は、依存したい人を引き寄せるんです。
そして、覚悟と決意を持った人は、覚悟と決意を持った人を引き寄せます。
それがなきゃ、夜行列車で雪国までロマンス探しに行こうが、何も見つかるわけがない。見つかるのは自分の思考のレベルと同じ人だけですよ。
お互いが自分の人生を生きることに、覚悟と決意を持っているから、お互いの関係に適度な緊張感が生まれるし、その関係だからこそ、力を補完し合うことができる。信頼関係が生まれる。
そして成長でき目標を達成するためのマスターマインドになる。
どんなことでもそうですが、他者との関係性に高い付加価値を生み出したい、信頼できるパートナーを得たいと思うなら、まずは自分が決意しろ、行動しろ、自分の足でちゃんと立てってことですな(^。^)y-.。o○