嫌いな相手のことでも、その世界観を認めることができれば、割り切ってストレスなく付き合える
■嫌いなことを認めることから
よほどの心の広さを持った人でもなけりゃ、誰であれ嫌いな人の一人や二人というのはいるものです。
まあ人それぞれ個性も違うし、合う合わないもあるから、それはそれで仕方ない。
とはいえ、嫌いな人だからといって、まったく関わらないでいられるかといえば、そうでもないのが世の中というやつ。
いやまあだからこそ面白いってことでもあるんですが、やはり嫌いな人との関わりというのはストレスの原因の一つではありますし、ストレスなら軽減されたほうがいい。
その方法にはテクニック論で言えばいろいろありますが、手っ取り早いのが、まずはその人のことを嫌いだということを認めることです。
つまり、嫌いな感情を押し殺して相手とうまくやろうとするから疲れるし、ストレスになる。だからますます嫌いになって、挙句の果てには憎悪にすらなってきてストレスも絶頂へ。
いいんです。うまくやらなくて。あ、この人嫌い。それでいいじゃないですか。
別にいい人ヅラして、したくもない笑顔を嫌いな相手にみせようとしたところで、一文の得にもならないどころか、ひきつった嘘臭い笑顔になるだけです。
まずは認める。嫌いなことを。その上で割り切る。
嫌いな相手でも関わらなければ飯食えないし、仕事が先に進まない。だからそれはもう割り切る。この人嫌いだけど仕事だから。生きる手段だから。それが自らの目標達成のプロセスだから。
嫌いなことを認めないまま、なんとか無理して好きになろう、嫌いな感情を消そうと思うからストレスになる。
むしろ嫌いなことを認めて割り切ったほうが、逆に冷静になれるので、お互いがうまくやれる落としどころが見つかるというもんです。
■相手の世界を否定しない
そんな割り切った付き合いでいいんです。
それでも嫌いな人との関わりからは、学びもあるし気付きもある。
<参考過去記事>
自分にとって価値あるものが何かがわかれば、嫌いな人ともうまくいくし、嫌いな仕事もうまくやれる。
そして、認めて割り切るための一番の前提条件は、たとえ嫌いであっても、相手をリスペクトすること。尊重すること。理解しようとすることです。
あなたにあなたの世界があるように、嫌いな相手には嫌いな相手の世界がある。それは否定しない。
嫌いでもいい。でも否定しない。自分とは合わないだけのこと。
否定しないということは干渉もしないということ。ああそういう考え方、そういう世界観もあるのね。自分とは違うけど。そんなもんだしそれでいい。
ちなみに、僕も人格者でなければ、広い心もいまだ持てていませんので、嫌いな人はいます。一方で僕のことを嫌いな人がいることも自覚しています。それでも少なくとも僕から苦手だと思う人はいないんです。
それはやはり相手の世界観を認めているから。だから人間関係でのストレスもほとんど感じたことはありません。いやゼロじゃないけど、それでも少ないと自信を持って言える。
そりゃ誰とでも心から仲良くできればそれが一番。それができるならそうすればいい。でもそうでないのに、そういうフリをしても疲れるだけです。これホント。
嫌いは嫌いでいいじゃないですか。自分の感情をまず認める。だけど相手の世界観は否定しない。その上で割り切った付き合いしていれば、そこから嫌いな感情が消える要素が見える可能性もありますしね。
どんなことでもそうですが、スタートの時点で自分の感情を無理矢理ねじ伏せたところで、あまりいい結果は生まれないもんですわな(^。^)y-.。o○
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