世界は一つじゃなくて人の数だけある。自分と他人の世界が違うことを認め合えるから、信頼関係が築ける
■善し悪しではなく、違うということを知る
誰でも少なからずあると思うでんすよねえ。なんでわかってくれないのかなあ。なんで伝わらないのかあ。なんて人に対して思うこと。
小さなことから大きなことまで、それがストレスやいさかいの原因だったりするもんです。
まあでも、そりゃそうですよね。
あなたにあなたの世界があるように、他人には他人の世界があるんだから。
そしてその世界はときに一体化することもあれば、ときに近くにあることもあり、ときに全然違うところにあることもある。
血がつながってるとか、同じ戸籍に入ってるとか、同じ言語を使って、同じ人種で、同じ列島に住んでるからとか関係ない。
あなたはあなたの世界。僕には僕の世界。それぞれある。それぞれ違う。みんな違ってみんないい。
誰にだって仕事があって家庭があって、これまで生まれ育った環境がある。その過程で作られてきた世界があるんです。
そうやってつくられた世界観を基準に、価値観がつくられ、その上での良し悪しや好き嫌いがある。それが暴走しないように社会規範やそれを維持するための法というものもありますが、それは面倒なので割愛。
すし職人と銀行員じゃ見えるもの感じるものが違う。
包丁一本に対する価値観が違う。まぐろを見る目が違う。数字の評価や読み方が全然違う。
家の中で誰とも関わらずに過している人と、表で数多くの人と関わっている人でも違う。
庭へのこだわりや近所づきあいに対して考え方が違うし、人との付き合い方そのものが違う。
どれが良いとか悪いとか、優れているとか劣っているというじゃない。とにかく世界が違うということですわ。
この当たり前のことを、ときに忘れがちになるから人間関係がおかしくなる。
昨日も書いた話しですが、距離感が維持できなくなるってことでしょう。
<昨日の記事>
図解あり/心地良い距離感を保てる相手は信頼できる。心地良い距離感が崩れると信頼関係も崩れる。
■合うところで信頼関係を築ければいい
親子であろうが兄弟であろうが夫婦であろうが親しい友人であろうが、他人は他人。そしてそれぞれ自分の世界がある。
にも関わらず、相手の世界をも自分で支配しようとしてみたり、一方的に否定しみたり、自分の世界を相手に押しつけようとしてみたりしても、うまくいくことなんて無理でしょう。
まあでも、こういうときって、往々にして「無意識の善意」による押しつけだったりするから余計にウザいんですよねえ。
もちろん、それが子供への「しつけ」や「教育」という範疇であれば、このテーマとは別の話し。
つまりは、他者との関係を築くこととは、お互いに違いがあるという前提で、認めあえるところ、わかりあえるところのポイントでの結びつきをつくるということでしょう。
そしてそのポイントが、お互いの目標を達成する上で相乗効果を発揮できるような関係性にまで発展するならば、いわゆるナポレオン・ヒル博士の言うマスターマインドの関係性になるのでしょうな。
<参考過去記事>
図解あり/お互いの世界観を尊重し合えるから、マスターマインドの関係性がつくられる
特に付き合いが長くなったり、一緒にいる時間が長くなるほど、つい自分の世界と相手の世界を同一視してしまう。そこでしなくてもいい喧嘩をする。ストレスになる。
そんなことであれこれ言い合ってもしょうがないですよね。そもそも違う。最初から合わない部分は合わない。それでいいじゃないですか。合う部分で信頼しあえれば。
付き合いの長い相手や、一緒にいる時間の長い相手との関係に、疑問やストレスを感じることがあるならば、少し立ち止まって考えてみるといいかもしれません。
お互いの世界を認め合えているだろうか。合わない部分まで無理して合わせよう、合わせてもらおうとしてないだろうか。と。
ちょっと一呼吸入れて考えるだけでも、そのあたりのストレスはだいぶ軽減されるもんですよ(^。^)y-.。o○
お互いの世界を尊重しながら信頼関係を深める方法はこちらで。
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