やっていることに無駄なことは一切ない。無駄と思えば無駄になり、価値ありと思えば価値が生まれる。
■学びはどこにでも隠れてる
どんなことでも、それを無駄と思うかどうかは、その人がその中から何を得ようとしているか。何を学ぼうとしているかによることでしょう。
どんなに貴重で価値あると思えることでも、本人が無駄だと思えば無駄なこと。逆にどんなに無駄に思えることでも本人がそこに価値を見いだせれば価値が生まれる。
つまりは、それが無駄なことなのか、価値あることなのかは、その人の価値観と人生観によるものということでしょう。
まあ時間は有限ですからな。誰もが必ずいずれ死ぬのは確実なのだから、その限られた時間を無駄にしたいと思う人はあまりいない。誰だって有意義で価値ある時間を過ごしたい思うものですわ。
とはいえ、それでもなんだかんだで、後悔したくなるようなことをやってしまうこともある。うわっ時間を無駄にしたーと嘆きたくなることもある。私の時間を返してよーと泣きたくなることだってあるかもしれない。
でも、それを無駄な時間だったと片づけてしまえば、それこそ終了。過去に空白が増えるだけ。
だったらそれをできる限り、どんなことであっても、自分の学びと経験に活かそうと思えばいいだけ。そうすれば活かせるってもんでしょ。
クッソつまんねーと思って観た映画にしたって、どこがどうつまんないのか、どうすれば面白くなるのかを考えてみるかで観え方は変わる。さらにどうすれば、つまらない映画に当たらないのかを考えれば、その経験は次に活きる。
クッソつまんねー男と付き合って、大事な婚期を無駄にしたーと思う前に、なんでそういう男と関わって、その経験を次にどう活かすことができるか考えれば、それは大事な財産にだってなる。
なんだか気休めっぽいと思うかもしれませんが、これホント。どんな経験でもそれを次に活かそうと思えば、それは必ず活かせる。それはすぐにじゃないかもしれませんが、いずれ必ず役に立つ。
<参考過去記事>
学ぼうとしなけりゃ時間の無駄だし苦しいだけ
つまりは無駄なことなんて何もない。自分が無駄だと思うか、価値あると思うか。その違いがあるだけで。
■選択するのは自分自身
それでもホントのホントに無駄なことってありますけどね。でもそれにしたって、以後同じことをしないと考えられれば、経験として生きるでしょ。
そのためにも、事実を事実として受け入れること。
クッソつまんねー映画をみて、無理やり面白いと思うのであれば、それじゃ次に活きないでしょ。つまらないものはつまらない。どもその経験を通じてどんな学びがあったのかを考えることが重要なんです。
そこを歪曲して無理やり自分を納得させようとするから、学ぶべきものが見えなくなる。反省もできないし、次に活かせる経験にならない。
手痛い失敗も、虚しく使ってしまった時間も、まず受け入れる。その上で、その経験を通じて自分は何を学び、その教訓を次にどうやって活かすかを考えればいいんです。
言ってみれば、学びも気づきも必ずそこにある。そこに学びも気づきも無いと思うのは、そこで学ぼう気付こうという心構えがないと言っているのと同じこと。
同じ時間と空間を過ごしているにも関わらず、人によって結果に差が出るということの原因の多くは、その時間と空間の中で、何を学ぼうとしているかの違いなのでしょう。
もちろん、それしたって学べることや気づけることには限度がある。だから何を学び何をスルーするかという判断基準も必要で、そういう観点からも明確な目標というやつが基軸になる。
そしてそれを人任せ、環境任せではなく、自らが主体的に達成しようと思うからこそ、一見すると無駄に思えることの中にさえ、多くの学びと気づきを発見することができるということ。
<参考過去記事>
図解あり/行動は経験になり、経験は武器になる。そして何より失うことのない財産になる。
無駄だと思って流してしまえば無駄になる。一方でそこに学びや気づきがあると思えば、そこで価値ある学びと気づきを得ることができる。やってることに無駄なことはなくなるんです。
無駄な時間として流してしまうか、価値ある時間として経験に活かすか。その選択をするのも結局は自分自身ということになりますがね(^。^)y-.。o○
来週は札幌で明確な目標。その後は大阪で恋愛力。さらに名古屋へ。
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