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【無料/小川健次メールマガジン『ブログには書けないここだけの話し』】
会いたければ会いに行こう。話したければ話しに行こう。自分で心を閉ざさなければ、扉はいつでも開いている。
■扉はいつでも開いている
同じ人間で、同じ地球に住んでいる限り、本当に会いたいと思う相手とは必ず会うことはできる。
もちろん手段方法は考えなきゃいけないし、場合によっては相応の精神的かつ物質的な負担が必要になることもある。それでも絶対不可能ということはないでしょう。
まあそんな大げさな話しじゃないにしても、ちょっと縁遠くなってしまった相手。ちょっといろいろあって話しづらくなってしまった相手。そういう人でも同じこと。
会おうと思えば会えるし、話そうと思えば話せるでしょ。そりゃ相手が超有名人なら、さっき言ったようにいろいろ手段も負担も必要かもしれないが、現実にはそうでもないでしょ。
会いたいと思っても、話したいと考えても、心のどこかでブレーキ踏んでしまっているだけのこと。もう忘れられてるんじゃないか。良く思ってないんじゃないか。相手にしてもらえないんじゃないか。
閉じてるのは相手の扉じゃなくて、あなたの心。別に相手はどうとも思っていませんよ。誰だって声をかけてくれたり、会いにきてくれたりすれば嬉しいと思うもの。
自分が逆の立場であったらどうか。気にかけてくれていて、連絡くれたり会いにきてくれたりすれば、普通に嬉しいと思うでしょう。仮に過去にわだかまりがあったとしても、自然とそのわだかまりも雲散霧消するというもの。
もちろん、わだかまりの内容にもよる。それに、会ったこともなければ、見ず知らずの正体不明な人であれば、声かけられたり、いきなり会いにこられりゃドン引きされるのは当たり前。そこは常識の範囲内で。
なので会ったことない人とは、手順を踏めばいいだけのこと。
<参考過去記事>
会いたい人には会えるし、一緒に仕事をしたいと思える人とは一緒に仕事ができる
いずれにしても、よほど嫌われてる、顔も見たくないし、同じ空気も吸いたくない。というくらい避けられてなければ、会うことも話すことも問題ない。問題あるのはむしろ自分の心だけだから。
■駆け引きと小細工が相手の心を閉ざす
会いたいと思うなら会いに行けばいい。話したいと思うなら話しに行けばいいだけのこと。相手の心の扉は開いてる。だから自然にそうすればいいだけのこと。
なのに、そこでつまらない駆け引きを入れてみる。余計な小細工をしてみようとか考える。だから話しがややこしくなる。だから警戒されて扉を閉められるんです。
まあそうは言っても大人の世界。皆いろいろなしがらみの中で生きている。会おう話そうと言ってもお互い簡単にそうもいかないこともある。だからここはやっぱり、あの手この手を駆使して。
なんて言ってみたところで同じですよ。同じ。しがらみ云々なんて考えてんのは、自分で自分にブレーキかける理由にすぎない。
そんなのは相手の事情を確認してから考えればいいだけのこと。確認した上でその事情に合わせることでしょう。それはごく普通のモラルの範囲内で行えばいいことで、それ以前に想像で片付くことじゃありませんよ。
縁遠くなってしまった人、わだかまりのある人に限った話じゃなくて、日常的にやりとりをする相手との関係だってすべて同じことでしょ。
会いたいと思って会う。話したいと思って話す。その頻度が多かったところで、変な馴れ合い関係でもなければ、お互いにとってマイナスになることはあまりない。
その積み重ねによって人間関係深まるもんだし。
<参考過去記事>
バカバカしいことの積み重ねが信頼の伴う人間関係をつくる。そこをサボるから信頼関係が築けない。
誰だって自分のことを気にかけられて、悪い気することはあまりない。会おう話そうと言われて気分を害されることは、よほど嫌いな人からでもなきゃそうそうない。扉は皆開いてる。
自分の心をオープンにしていれば、会いたい人に会えるし。話したい人とも話せるってもんですわな(^。^)y-.。o○