人のことは決められない。決められないことを知れば、人間関係のストレスはなくなる。
■投げたボールは相手のもの
他人は他人。よそはよそ。あなたがどんなにその人のことを考えてみたところで、最後に決めるのはその人自身。
だからそこには干渉できない。第三者が何か言うことはできるけど、最終決定には入り込めない。
まあガキじゃありませんからねえ。誰だって自分のことは自分で決める。自分のことは自分で考えられる。
他人の意見に影響されることもあるのでしょうが、それでも最後はそれを受け容れると決めた本人の問題であって、そこに他人が介在することはない。
にも関わらず、他人を意のままに動かそうなんて、傲慢も甚だしい話し。他人の決定に干渉しようなんて、おこがましいにも程があるってもんでしょう。
あなたのできることは、あなた自身の考え方を相手に伝えるところまで。最後は相手が決めること。あなたはそれ以上立ち入れない。
だから、相手の言動に余計な期待はしないことです。思い通りに動いてほしい。期待どおりの答えが欲しい。そんなの勝手に自分が望むのは構いませんが、相手に期待しないことです。
そして期待するというのは、下手すると相手の心を支配しようとするのと同じこと。
<参考過去記事>
他人の心を支配しようとしなければ、不安と猜疑心から解放される
伝えるべきことは伝える。そのレスポンスの内容には期待しない。変に期待するから、余計にストレス感じる。右往左往することになる。
ボールを投げてそれが相手に渡ったら、あとはどこに投げようが相手の自由。ここに投げ返せ、こういうフォームで投げてこい。そういう押し付けがましいこと思うだけでなく、言ったりするから話しがややこしくなるんです。
■最後は割り切り
他人のことはどうにもできない。
もちろん助けようとすることも、力になろうとすることもできますよ。でもそれを受け容れるかどうかの判断も結局それは本人の問題でしょう。
言うなれば価値観の押し付け。
助けてほしいと思ってるでしょ。力を貸してほしいと思ってるでしょ。だからあなたは私を受け容れて当然。受けれないなんておかしい。みたいな。
いや、別に他人に無関心で冷酷になれという話しじゃない。あくまでも度合いの問題ですよ度合いの。
他人からのレスポンスに期待しすぎて、右往左往。期待どおりのレスポンスじゃなきゃイライラムカムカ。そうなるくらいだったら最初から期待しないことですよ。
良い意味での割り切りですな。
心を込めて相手に気持ちは伝えるし、手をさしのばす。でもその先のことは相手が決めればいいことだから、あとはご自由にどうぞ。と。
<参考過去記事>
決めるのはあんたじゃない。割り切ればストレスもなくなる。
だからこちらから扉を閉ざす必要はない。ボールを投げて、この扉に中に投げ返そうがよそに投げようが、あなたにお任せ。こちらは扉を開いたままプレステで遊んでるし、みたいな。
そうすりゃ右往左往もしなくなる。イライラもしなくなる。
もっと言えばそこまで余裕を持って構えていてくれれば、相手もボールを投げ返しやすくなる。
当たり前ですがね。あなたはあなたで自分の考えを尊重してほしいと思うように、相手は相手で自分の考え尊重してほしいと思うもんですよ。
その当たり前のことに立ち返るだけで、人間関係のストレスなんてあっと言う間に軽減されるもんですわな(^。^)y-.。o○
来週末は東京でこれ
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