他人の心を支配しようとしなければ、不安と猜疑心から解放される
■他人は他人。自分は自分
それがどんなに身近で大切な存在であろうと、その人の心を支配することなんてできませんよ。
たとえ一時的な恐怖や不安に陥れることによって、相手を拘束することができたところで、根っこでソッポ向かれるだけのこと。
だって他人は他人。自分と違う。
少しばかり趣味が似てたり、気が合ったり、志が同じだったりしたとしたって基本的には別の人。
家族であろうが上司部下だろうが同僚だろうが恋人だろうが、他人は他人。こればっかりは変わらない。
人間関係の原理原則はそこからスタート。
<参考過去記事>
自分は自分。他人は他人。違いを認めるから人間関係はうまくいく
そして他人の心は支配できない。
だから他人の心を自分の思い通りにしようとなどと思わないことです。
自分のことだけ見ててくれないと嫌。
俺の言うことを聞け。
すべてを自分に合わせてくれ。
っつーかそんなの無理よ。絶対。相手がどう思うか、最終的にどう判断するかなんて相手次第であって、他人がそれをどうこうなんてできっこない。
にも関わらず、相手が自分の思い通りになっているか、相手が自分の希望を満たしそうとしているか、そんな視点でばかり考えるから、不安と猜疑心から逃れられない。
何言ったって、何やったって離れていく人はいる。振り向いてくれない人はいる。
にも関わらず、相手の心を自分の都合で動かそうとするから、それがストレスになる。不安になる。結局それで話しがこじれて決裂してさようなら。
もうね。疲れるだけでしょ。それ。
どうにもならないことを考えて頭を悩ますことほど疲れることもありませんわ。
どうしてわかってくれないの。
なぜこうしてくれないの。
でも結局それって、相手に自分の気持ちを押しつけてるだけですよ。
相手の心をあなたの思い通りにしたいという心の動きにほかならない。
■主体は一体誰なのか
結局のところ他人の心を支配しようとする人って、主体が自分じゃなくて他人なの。
特に意識的でも無意識的でも、相手に自分の考えを強要しようとする人ほど、自分に自信と確信が持てないから他人の心を支配することで、主体を他人に置きたがる。
俺はこれだけのことしたのに、あいつがそれをわかってくれない。
私は正しいことしているのに、あの人がそれを理解しようとしないから。
そんなの他人は関係ねーから。
そりゃあんたの問題だっつーの。
もちろん、客観的事実として全部が全部そうじゃないこともありますわ。
でも結局他人の心の中には手を突っ込めない。
<参考過去記事>
決めるのはあんたじゃない。割り切ればストレスもなくなる。
あなたに個性があって、自分の生き方や価値観があるように、相手にも個性があって、相手の生き方や価値観がある。
そこに影響を与えることくらいはできるかもしれませんが、支配して自分の思い通りにしようなんて無理だし、そもそも傲慢極まりますわ。
それっていくらどうこう考えたって解決しませんわな。疲れるだけだしイライラするだけ。
だからそこであれこれストレス感じるよりも、解決できる領域、つまり自分自身の問題としてしまえば、具体的に自分で解決できる。
そういう意味では言い方悪いかもしれませんが割り切りですよ。
もうちょっとポジティブな言い方すると相手の考えを尊重するということです。
もちろん、そのためには相手のことを知らないといけないし、強要ではなく、あなた自身のことはちゃんと相手に伝えておくという相互理解が成立していなけりゃ意味がない。
それが良い意味で作用しだすと、不思議なことに人間関係での猜疑心やら不安やらは綺麗さっぱりなくなるもんです。
とはいえ、それも度が過ぎると、この人って口でいろいろ言うばっかで結局のとこ私に興味ないのね、と冷たい目で見られることにもなりかねないので、何にせよバランスは必要ですがね(^。^)y-.。o○
人間関係の不安と猜疑心から逃れる方法はこちらで。
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