心が揺れても、波風立っても大丈夫。自分が帰るところを知っていれば、道を踏み外さない。
■帰巣本能に従えば帰れる
酔っ払いの発動する帰巣本能というやつは、いつも感心させられます。どんなに自分を見失うほどに酔っていても必ず家に帰れるってのはホント大したものですわ。
ちなみに僕は自分を見失うほど酔わない。っつーかそこまで酔う前にダルくなるので、先に勝手にとっとと帰るタイプです。
いやまあ、酔っ払いの話しはどうでもいい。でも酔っ払いのように、自分を見失うことがあっても、ちゃんと自分の帰る場所と、そこまでの帰り方がわかっているならば、多少のことで右往左往することはないでしょう。
予期せぬ出来事は起こり得る。予期せぬ出逢いもあるし、予期せぬ成功も失敗もある。それで心が揺れることもある。心に波風立つこともある。それこそ一時的に自分を見失ってしまうことだってあるかもしれない。
だからといってそれで慌てふためく必要はないし、自己嫌悪に陥る必要だってない。自分の心の帰る場所。自分のいるべき場所さえ、はっきりしているのなら。
その場所は、物理的な場所かもしれないし、自分の心のどこかかもしれない。大切な誰かのことかもしれない。それがどこかはその人次第。それでも帰る場所があれば必ず帰れる。
それに無理に頑なになろうとすれば、それこそ予想外の出来事に対応できなくなる。自分を抑えつけようとしすぎてストレスになる。多少の揺らぎを許容できるくらいの余裕を持っておくから、臨機応変に対応できるというものでしょう。
望むと望まざるに関わらず、予想外の出来事は起こる。それで心が揺れることも波風たつこともある。そのこと自体は否定しないことです。揺れる自分やブレる自分を否定しないことですよ。
しっかりと心にアンカーを落としておけば、流されても沖までいくことはない。必ず帰ってこれるから。
<参考過去記事>
ホッとできる心の居場所を見つけておくと、感情に流されずいつも笑顔でいられる。
とはいえ、逆に言えば自分の帰る場所がない。帰る場所がない。そのときはそれこそ糸の切れた凧と同じ。流れ流れてさまようばかりになること必至。
■心が揺れても自分を責めない
別に流れ流れてさまようことが悪いわけじゃない。それで命まで取られることもない。それにそういう生き方を望んでいるならそれもアリ。それを誰も否定はできませんよ。
その一方で、自分の定めた道を自分で歩んで行こう。そう考えるなら、その道を決めておくことですよ。その道の歩き方もはっきりと鮮明にイメージしておくことですよ。誰とどうやって歩くのか、どういう歩き方をするのか。
本当に価値あると思うもの。本当に大切だと思う人。その優先順位を決めておきさえすれば、その他の出来事は取るに足らないことでしょう。
そうすりゃ多少の予想外の出来事に遭遇して、自分を見失うことがあっても大丈夫。ちょっと本筋から離れることもあるかもしれない。遠回りするかもしれない。それでも元の道に帰ってこれる。
だから、少しくらい道を踏み外しても慌てない。右往左往したり自己嫌悪に陥らない。むしろ色んな経験できたと喜べばいい。違う景色を楽しめばいい。
それで自己嫌悪に陥ったところでセルフイメージ下がるだけ。自己否定は潜在意識でネガティブなイメージとして定着するだけです。
もちろん言うまでもなく、超えちゃいけないラインはある。それを超えたら戻ってこれないラインはある。人として社会人として大人として。その範囲内でということですわ。
それに多少の心の波風ならば、ある程度は自分でコントロールできるもの。例えば過去にブログで書いたこういうやつなど。
<参考過去記事>
図解あり/イライラして余裕がないときだからこそ、人に優しくしてあげると、余裕が生まれる。
誰だって心揺れることはある。心に波風立つこともあるし、少しくらいは道を踏み外すこともある。それでもちゃんと帰る場所をわかっている人は、ちゃんと帰ってこれるんです。酔っ払いだって家に帰れるんだから。
まあいろいろあったとしても、それを自分で許容できるくらいの、ゆらぎの幅を持てる自分であれば、日常のストレスもずいぶん軽くなるってものですしね(^。^)y-.。o○
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