心から信じた道を歩んでいれば、必ずわかってもらえるときがくる。空気ばかり読んで、ブレるから理解してもらえなくなる。
■人は立場で考え立場でモノを言う
その場そのときその状況によって、人は言うことはもちろん考え方だって変わるもの。
もちろん基本的な考え方や性格は変わらないにしても、そのアウトプットのされかたが、置かれた立場や状況によって異なることは、誰にだってある。
同じ人なのに、課長のときと部長になったときで言うこと変わることはある。そりゃ人が変わったのではなく立場が変わったからというだけのこと。
人が自分の立場を無視して、思考したり発言したりはなかなかできない。できないことはないが、やはり無意識のうちに、その立場に引きずられる。
父親としてのAさんと、社長としてのAさんは同じAさんでも、それぞれ立場というフィルターを介すればアウトプットは異なるでしょう。もちろんそれは社会的な立場に限らず、他者との位置関係や、思想信条によってだって異なるもの。
人なんてその場そのときその状況によって、言うこと変わるんです。それこそモノの見方や考え方だって違うことがある。それが自然でそれが普通。
そういう意味では他人が自分に何を言うのかなんてのは、あまり気にすることでもないし、その人の立場を考慮に入れながら差し引いて考えておくべきのこと。
<参考過去記事>
他人の言葉や行動なんて気分です。偉い人にはそれがわからんのですよ。
同じように、自分が今取り組んでいることについて、相手が理解を示してくれていないとしても、それはあくまで相手が自分の立場というフィルターを通じてみているから。
そのフィルターとは単純な社会的立場かもしれないし、思想信条かもしれない。それこそあなたとの関係性かもしれないし、時代背景なのかもしれないし、そのときの気分かもしれない。
でもそれは普遍じゃない。いずれ変わる。いずれ変わるということは理解してもらえるときがくる。わかってもらえるときもあるということですよ。
■自分を信じるから他人からの理解を得られる
このブログでは何度もやっている話題ですが、他人の意見や評価に右往左往されないことですよ。自分で信じた道を進めばいいんです。だって信じてるんだから。
もちろん理解されない苦しさ、わかってもらえないしんどさ、相手にしてもらえない孤独感はある。でもそれって、何かをやろうとするんだったら、必ず付きまとうものじゃないですか。
そこであれこれ空気を読んで、他人の顔色うかがってみたところで、他人は自分の立場というフィルター通じた発言しかしませんよ。しかもその立場はちょくちょく変わる。それに合わせて自分を変えれば、それこそ何やってるかわからない。
言ってみれば万人に受け容れられるものって、万人に受け入れてもらえないものだったりするものだし。妥協と慣れ合いで取り組んだものから、良い結果が出ることなんてそうそうないでしょう。
だったら自分が信じた道を進むだけ。今は理解してもらえなくても、いずれ必ず理解してもらえるときがきますよ。仮にその結果を理解してもらえなくても、あなたの想いやその取り組みは理解してもらえる。
仮に他人からの意見が、あなたの取り組みに対して否定的だったとしても、それも気にすることなんてないですよ。
<参考過去記事>
図解あり/他人の否定的な意見のほとんどに悪意はない。その意見の動機を見極めれば、心を揺さぶられることはない。
とはいえ、いくら他人が立場でモノ言ってるだけだとしても、建設的な内容(どうすればもっと良くなるか)であれば、それそれで真摯に耳を傾け、有用なものは取り入れればいいだけのこと。
未来のことなんか誰にもわからない。根拠は自分を信じられるかどうか。その思いの強さだけ。それを今は理解してもらえなくても、いずれ必ず理解してもらえるときがくる。
もちろん結果への理解が一番ですが、そのときなぜそれにそうやって取り組んだのか、どんな想いだったのか。それも理解してもらえるときがくる。信じて自分の道を進んでいれば。
それにね、そこまで信念持って何かに取り組んでいる人については、いずれそのうちまでいかなくても、誰かが必ず立場を超えて理解を示してくれるものです。少なくとも僕は理解を示しますよ(^。^)y-.。o○