答は現実社会の中にある。あれこれ考えるより、やってみれば自然と答えが出る。
■体験するとわかること
未来のことは誰にもわからない。ある程度の予測はできても、ホントにホントにそうなるかということは、実際の現実社会の中でしかわからない。
明日起こることを予測はできるし想定はできる。それでも予想外のことや、不慮の事故が絶対起こらないとは限らない。
明日に限った話じゃない。1時間後のことだって、30分後のことだって。それこそこの記事読み終わる1分後にだって、どうなるかなんて完全にはわからない。
わかる方法はただ一つ。その時間を実際に過ぎてみること。その場そのときその状況を、自分自身で体験してみることですよ。
それ以外は全部予測や想定でしかないんです。いわゆる妄想の中の出来事で現実じゃない。つまりそれは正しい答えじゃない。
にも関わらず、ただ妄想の中で結果を判定してみて行動を止めたり、何も起こっていないのに不安や恐れにとらわれて、ただ闇雲に右往左往しながらストレス感じていることほど、バカバカしいことはないでしょう。
とはいえ僕たちはある程度の未来を予測して想定しないと生きてはいけない。ちょっと考えればどうなるかをわかることを、いちいち試してみるのはアホの所業。
道ですれ違う見知らぬ人に「このどアホ」と吐き捨てたらどうなるか。まあひょっとしたらそれで仲良くなるかもしれない。それで付き合ってしまうことになるかもしれない。でもそんなことは稀なのはわかりきったことで、そんなことを試す必要さえないことでしょ。
別になんでもかんでも現実社会の中で試す必要があるわけない。それでも、自分で試す価値はあるかもしれない。やってみる価値があるかもしれない。そう思うならやってみればいいことだし、その考えが正しいかどうかの答えは、それこそ現実社会の中にしかない。
<参考過去記事>
五感を通じた体験は、事前の予想を上回る。やってみること行ってみることで五感が刺激される。
だから自らが現実社会の中でその体験を通じて、答えを得るしかないでしょ。
■動かないと答えはわからない
あれこれ考えてみたところで、それは想像の中でのことでしかない。心配ごとだろうが不安だろうが、真実じゃない。答えじゃない。だからホントの答えを知りたければやってみるしかない。
誰だって経験あるじゃないですか。あれこれ考え、不安に思っていたことも、実際に経験してたら全然大したことなかった。高い壁だと思っていたのに、実際には余裕で乗り越えられたということが。
もちろんその逆もあるでしょう。余裕と思ってたのに、実際にやってみるとまんまと跳ね返されたり、楽勝と思っていたことが実はエラい大変なことだったなんてことが。
それでも実際に経験してみれば、肌でそれを体験してみれば、そのこと自体が一つの答えですよ。正解だったらそれでいい。もし誤っていたなら修正できるチャンスを得たことになるだけのこと。
まあ透視能力者でもあれば話しは別ですがね。普通は先のことなんかはすべて予測の範疇にしかすぎない。
どうでもいいんですが、「透視能力者」といえばこれ思い出した。わかる人少ないと思いますがわかる人がいればそれでいい。
まあとにかく、答えを知りたければますは実際にやってみることでしょう。やらない限り正しい答えはわからないから。
その上であとは出た答えに対して、意味と解釈をどう受け入れるかですよ。答えは一つかもしれませんが意味づけと解釈はそれこそ人の数だける。無制限にどう受け入れたって構わない。
<参考過去記事>
図解あり/起こった事実は変えられないが、起こった事実の意味と解釈は自由に変えられる。
そして何より、一つ答えがわかればその内容はどうであれ次にすすめる。頭の中で悶々としてたところで先に進むことなんかないですから。疲れるだけで。
どんな答えであっても、それは経験になり経験は未来の自分の糧になることだけは、多くの事例が示すとおり、間違いのない答えの一つでありますわな(^。^)y-.。o○