傷つきたくないと思うから傷が深くなる。傷を負うことを覚悟すると傷は浅く治癒も早い。
■警戒しすぎるから不意打ちくらう。
誰だって、ちょっと変わった性癖のある人でもなければ、痛いのは嫌ですよ。体はもちろん心でも。
とはいえ、傷つかないで生きていくというのは、これが現実的にはまあ難しい。
どんなにうまく傷つくことを回避しようとしたところで、人生いろいろ傷つき方もいろいろ。必ずどっかで傷ついて痛い思いをすることはある。
そりゃずっと家に閉じこもって、誰とも一切死ぬまで会わない、世間の空気に一切触れないとかなら、傷つかないことも可能かもしれませんが、それはそれで別の意味で難易度高すぎる。
他人が何となく悪気なく発した一言で傷つくこともあるかもしれない。期待と違った結果になったことで傷つくことがあるかもしれない。ただただ自分の無力さを思い知って傷つくこともあるでしょう。
つまりどうやったって、何やったって誰であれ生きてりゃ傷つくことなんかあるのは、ここで言うまでもなく当たり前といえば当たり前。
なのに、いかに傷つかずにいられるかを考えて、慎重になりすぎているから、予想外のとこから不意打ち食らって必要以上に傷つくことになるんです。
お化け屋敷で、明らかに何か起こりそうな怪しげな絵を前にビクビクしてたら、いきなり天井から首スジに水滴落とされて、死ぬほどビックリするみたいな。
目の前のことで傷つかないことばかりに集中しているから、想定していない無防備なところへの不意打ちになる。だから傷は深いし立ち直りにまで時間がかかる。
しかもそういう傷に限って、実際には自分への影響なんてほとんどないような、どうでもいいようなことだったりするもんですよ。
<参考過去記事>
問題は手放してしまえば苦しくなくなる。問題のほとんどは些細で根拠の乏しい心配事にすぎない。
だったら、もう最初っから傷つくもんだと割り切って、ドーンと構えておけば、相応の対処はできるというもの。
傷つくことにビビッて立ち止まることなく、傷つくのがそもそも当然当たり前。それがどうした。そんなつもりで前進すればいいんです。
■経験積めば耐性が上がる
と言っても、実際には傷つきますがね。そんなことで傷つくことがなくなるほど、人生甘くないなから面白い。僕だって傷ついて打ちひしがれることはある。
それでもそれ繰り返してると耐性つくし治癒力も上がる。
ちょっとやそっとじゃへこたれなくなりますよ。生きてる上で負う傷くらいなら、よほどのことがない限り致命傷にはならないこともよくわかる。だからより一層前に進める。だから傷ついても復活できる。
傷つくことが悪いわけじゃない。凹んでぐったりするのが悪いわけでもない。そんなのは誰にだって起こること。
大事なことは、そうなるのをただただ恐れて警戒してばかりしていると、何も得られないどころか、下手すりゃもっと深手を負うことになって、余計苦しいし結果的に復活までの時間がかかる。つまりは大変でしょ。ということですよ。
まあときには深手を負ったほうが、窮鼠と化して猫を噛みに行くモティベーションが生まれていいのかもしれませんが。
仕事でも人間関係でも、これやると心に傷を負いそうだ。プライドや自尊心をボロボロにされそうだ。そう思ってためらうことがあるのであれば、開き直ってドーンといってみればいいんです。
どうせ何やったって傷つくんです。そこで傷ついたって大したことありませんがな。むしろ耐性上げる大チャンスと思うくらいでいいでしょ。
そして何より傷を負って痛みを知れば人にやさしくなれますしね。
<参考過去記事>
痛みを知れば人にやさしくなれる。痛みを重ねれば痛みに耐えられる強さが身につく。
心の傷の特徴は、癒えれば必ず耐性が上がっているということですわ(^。^)y-.。o○