■得られるものは差し出す代償によって決まる。何も差し出さなければ何も得られない
誰であれどんなことであれ、何かを得ようとすれば何かを差し出さねばらないというのは、世の道理。
人間は限られたことしかできない。必ず死ぬのは万人平等。それがいつかはわからなくても死ぬまでの時間に限りがあるのは皆同じ。
限られた時間の中ではできることに限りがある。
だから
何かを手に入れるには、何かを手放す。代償として差し出す。それは時間やお金である場合もあれば、ときに大事な人間関係だったり、ときに心の支えであったりすることもある。
試験に合格するために、観たいドラマを観ない。合格するまで遊ばない。友人との連絡もとらない。それも一例。
目標の売上達成するために、家族との時間を減らず、ランチの時間も仕事する。それも一例。
愛する相手のために、遠距離だろうが飛んで行く。何かのついでじゃなくて、そのために仕事休んで相手に尽くす。それも一例。
どれが良いか悪いかは関係ない。自分が価値あると思うもの、手に入れたい守りたいと思うものを優先すればいいだけだから。
そこには必ず代償が必要だというだけの話し。
何も差し出さない。でも願望や目標、やりたいことは全部実現したい。それもいいかもしれません。それでうまくいくのなら。
とはいえ、ほとんどの場合、結局何も手に入らない。あれもこれもと手を出したり、どれがいいかと考えているうちに機を逸する。そして気づけば、齢のみ重ねてひたすら後悔。
何かをコトを成している人をよく見ればわかるように、何も差し出さずに結果のみ手に入れた人はいない。必ず何かを差し出している。
結局時間は有限。できることにも限りがある。その中での取捨選択。
逆に言えば、何かを差し出せば何かが必ず手に入る。それは求めていた目標かもしれないし、その場しのぎの怠惰な安らぎかもしれない。差し出した代償に応じて必ず何かが手に入る。そして手に入るものは差しだした代償に相応しいものしかない。
何を得たくて、そのために何を代償として差し出すのか。いつどのように差し出すのか。
それを決めることができるのは他の誰でもなく自分自身。何のために、いつ、何を代償として差し出すか。
あとはその覚悟と決断だけってことですわな(^。^)y-.。o○
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