自分で決めて取り組むことに無駄はない。その結果はどうあれ、全ては未来の糧になる。
■決断の仕方によって結果の意味が変わる
過去があるから今がある。それがどんな結果になっていようと、過去は今の原因であることに変わりはない。
その過去がどんな内容であれ、それを今さら否定したところでどうにもなりませんよ。誰も時間を元には戻せない。
未来に対しても同じこと。今この瞬間に何をやっていようが未来は必ずやってくる。時間は過ぎるし歳はとる。それに抗うことは誰にもできない。
もちろん迎える未来は理想どおりが一番いい。夢を描いてそそのすべてが完璧に実現できれば、文句もなければ悔いもない。
とはいえ現実にはそのとおりにならないこともある。理想と寸分たがわぬ現実のとおりになることもあるけれど、そうじゃないこともあるでしょう。
大事なのは、そうなったとき、夢破れたり、理想が実現できなかったとき。その現実をどのように受け止めることがきるかどうか。
あいつが悪い、こいつが悪い。状況や環境のせい。運が悪い。私はなんて不幸でついてない人なのかしら。あれがなければこれがなければ。そうやって解決できないことなのに、自分以外の何かに責任を求めるのか。
すべては自分の判断。あそこで力が及ばなかった。あのときの自分のミスが後に響いた。ということは次はこうすればうまくいく。そうやって自分自身に責任を求めて、具体的な改善方法に目を向けるのか。
そのどちらが次につながる心構えなのか。そのどちらが自分自身で納得できる現実として受け容れる考え方なのか。そりゃ言うまでもなく後者でしょう。
<参考過去記事>
逆境や困難があるから面白い。逆境や困難に意味を見出せれば心が折れることもない。
どんな結果であれ、自分が下しだ決断には自分で意味を見いだせる。結果がどうあれ納得感を得られるってもんですわ。
■未来の自分が今の自分に納得できるか
結果なんか出てみなけりゃわからない。それが正解か誤りかなんてそのときになってみないとわからない。それを何かやる前にあれこれ迷ってても答えは出ない。
どうせ答えがわからないなら、それでもどうせ迎える未来なら、自分で納得できる結果でありたい。同じ後悔でもその責任を自分に求めることができれば、次に活かせる糧が見つかる。
だから自分で決めて取り組むことに無駄なんかないんです。いやその場そのときその瞬間は無駄だったと思うこともあるかもしれない。それでも後で思い返せばその決断が今に活きてる。あの決断があったらかこそ今がある。
それが手痛い失敗だったりすることもあるでしょう。それで失うこともあるかもしれない。とはいえだからといって命までは取られませんよ。失敗は経験と活かせるし、失ってもとりかえしのつかないことなんてそうそうない。
<参考過去記事>
図解あり/どんなに苦しいことでも、あなたはそれを乗り越えられる。よほどのことでもなきゃ命までは取られない。
そこで自分の決断放棄して、他人の意見他人の顔色、その場の空気を優先してしまえば、期待の結果にならなかったときの後悔のやり場がなくなる。とりあえず他人を責めてウサ晴らすくらいしかないでしょう。
だからこそ、自分でやりたいと思えばやればいい。そこにあれこれ理由はいらない。理由なんか考えたって何もありませんよ。むしろそこで考える後にあっての後悔の理由になるだけだから。
大事なことは後で納得感を得られるかどうか。出た結果に対して自分の責任と真摯に向き合えるかどうか。そしてそれが次に活かせるかどうかなんだから。
どうせ時間は過ぎていく。どうせ年齢は重ねるんです。
来る未来がどんな結果になっていようと、それを自分で受け容れられる。そのときの自分が納得できる。
そんな決断を日々繰り返せれば、人生に無駄なんかまったくないってことですわな(^。^)y-.。o○
自分で納得できる決断力の高め方
↓
■全国セミナー・講演会開催予定(小川担当分)
https://ogawakenji.com/seminar
【毎日配信/ブログには書けないここだけの話し】
当ブログの最新の更新情報を中心に、ブログでは書けないここだけの話しや、都合によりカットしたネタ。また、各種お得なサービスのご案内などをブログ読者限定の無料メールマガジンでお届けしています。
(以下のバナー画像をクリックして登録フォームへどうぞ)