すべてを自分の力で済ませようとするから壁にぶつかる。他人を信じて力を借りれば壁は乗り越えられる。
■覚悟があれば助けてもらえる
どんなことでも最後の最後は自己責任。どうなろうと最後は自分でケツ拭くというのは大人のたしなみ。
とはいえ、責任を自分がすべて負うということと、そのプロセスまで自分で何とかしようというのは違う話し。
自分が力を尽くせば達成できることならそれでいい。自分でできることは自分でやる。
それでも自分でできないこともある。自分以外の人の力を借りることで、もっと効率良くなることもあれば、想定を上回る良い結果が生まれることだってある。
それに自分一人じゃ乗り越えられない壁だってある。別にその壁乗り越えたくなきゃどうでもいいが、乗り越えたいと思うなら、誰かに手を借りないと乗り越えられない。
でも壁の前に立って、ただボーっとそれ眺めていても誰も助けてくれませんよ。あ、この人は壁を眺めるのが好きな人なんだ。そう思われながら通り過ぎられさようなら。
誰も助けてくれない。自分は不幸だ。そうやって延々と一人で壁の前でブツクサ言ってるだけでも、誰も助けてくれない。なんかアブなそうが人がいる。シッ!目を合わせちゃダメ!っとスルーされてさようなら。
だから壁を乗り越えたければ、その思いを人に伝えることでしょう。そして協力を求めることですよ。素直に。そして謙虚に。
たとえ壁があろうとも、自分で乗り越えようとする覚悟は必要ですよ。同時に他人の力を借りるのにも覚悟は必要なんです。その覚悟を持てるから謙虚になれるし、素直に心から助けを求められる。
<参考過去記事>
自分でやると覚悟するから他人が助けてくれる。他人の助けをアテにするから助けてもらえない。
自分が求めている結果に対して熱意を持って取り組むことです。行動で示す。同時に自分が何を求めているかをはっきり伝える。だから求めていることがわかる。だから助けようと思える。
■助けてもらうなら信じて委ねる
力を借りる以上は相手のことは信用することですわな。委ねることですよ。結果の責任は自分が負えばいい。っつーか自分が負うしかない。誰も変わりにケツまで拭いてはくれません。
結果が良ければ力を貸してくれた人達を賞賛し、結果が伴わなければ自分が責任を負う。その覚悟を持てなければ誰も助けてくれませんよ。
それに善意で他人を助けてあげただけで、細かいことまで口出され、あまつさえ責任まで追及されるなんて、割りに合わない。だいたいそんなセコい人を助けようとは思いませんわ。
自分でやれることすべてやってれば、ホントに力を尽くしているならば、自然と人に委ねられるんです。これ以上もう無理と思うことなら、他人の力に頼るしかないから。
中途半端でやりきっていないのに、人の力に頼ろうとするから、あれこれ言いたくなる。自分でやればできることを、サボって人にやってもらおうとするから、ちょこちょこと余計な口を出したくなる。
結果、助けてやったのに、うるせーしメンドくせーし。だったら最初から自分でやればいい。もう助けないのでさようなら。
おまけに自分は助けてもらう。でも他人が困ったときは別に興味ない。って、そんな人は助ける云々の前に、他にいろいろな意味で問題あるから付き合いそのものを考えるでしょ。
だからこそ、それらの前提となるのは、あなた自身が助けてくれる人たちに対して、見返りを求めずに彼らを日頃から助けようという心構えを持っていることと、その心構えを持っていることを知ってもらっているということですがね。
つまりは差し出す代償をはっきりとしておくということと、自分が相手のために何ができるのかを、日常的に言葉と態度で示しておくことですわな。
<参考過去記事>
図解あり/得られる成果は差し出された代償に比例する。何も差し出さなければ何も得られない。
まあとにかく、自分一人でできることには限界がある。その中で収まってしまうというのも、人それぞれだから選択肢としてはアリでしょう。
一方で、自分の限界の向こう側に行こうという意欲を持っているならば、そのために他者の力を借りるということは常に考えておく必要はありますわな。それでも最後の最後は自分の責任ですがね(^。^)y-.。o○