誤解は必ず解けるから、焦らなくても慌てなくても大丈夫。信じた道を進み続ければ、わかってもらえるときが必ずくる。
■見えるもの感じるものは状況環境によって異なる。
ものの見方や考え方は、その場そのとき置かれている状況や環境、そして気分からの影響を完全に無視することなどできない。
根本的な性格や考え方が変わるわけじゃない。だけども、見え方や感じ方が変わる以上、そのアウトプットは変わるもの。
昨日はクソミソに言われた企画書なのに、今日になったら大絶賛される。別に読む人が変わったワケじゃない。昨日と今日で何かしら心境に違いを生み出すことがあっただけ。同じもの見ても評価は時と場合によって違うもの。
同列だったときは、あんなに一緒に文句言ってたのに、昇進した途端に言うこと変わって組織の肩を持つようになった。そりゃ立場が変わったから。見えるもの感じるものも変わるでしょうし、守るものだって変わるでしょう。
昨日はあんなに好きと言ってくれたのに、今日になったら着信拒否にLINEスルー。あ、それは単に遊ばれただけだわww
僕たちは誰であれ、自分の置かれた立場、そして、そのときの状況環境から受ける影響を無視して、思考したり発言したりことはできない。論理的な整合性より、状況環境から受ける気分によって、ものの見方や考え方、言うことやること変わるんです。
友達であり仲間であるAさんと、上司としてのAさんは、こっちから見りゃ同じですよ。でもAさんからしてみりゃ違うんです。自分の立場に応じて役割を演じなければいけない。そして役割を演じようとすれば、その立場に応じたものの見方や感じ方をしなきゃいけない。そのフィルターが必要なんです。
もちろんそれは社会的な立場に限ったことじゃない。時間や場所、相手との距離感、さまざまな要因によって同じようなことは誰にでも起こりうる。
人はそう簡単には変わらない。でもね、ものの見方や感じ方なんての意外とカンタンに変わる。その場そのときその状況によって、言うことやること変わるんです。それが悪いわけじゃない。そうすることが、社会に適合して生きてくために必要な生存戦略だから。
だから、他人が何を言って何をするのかなんてのは、実はそれほど気にすることでじゃないんです。人は思い付きでモノを言い、その場で自分が都合がいいと思う行動をするだけだから。
要するに、またタイミングが変われば言うこと変わる。お互いの立場が変わればやること変わる。今の時点で到底受け容れらないこと言われようが、それはまた変わるんです。今は歩み寄ることできなくても、歩み寄れる日が来ることはある。
それは相手に限ったことじゃない。相手が状況環境に応じてものの見方や考え方が変わるように、あなただって状況環境変われば、ものの見方や感じ方が変わるんです。昨日までは、あの眉毛野郎ムカつくわーと思っていたのに、今この瞬間には、好き好き超LOVEになっていることも、多分、ある。
まあ、どうやっても歩み寄れないこともありますがね。お互いで何とかしようと思っても何ともならないこともある。そりゃもう縁がなかった。ただそれだけ。
<参考過去記事>
本当に大切な人とは魂が縁でつながっている。落ち着いて心の声に従えば、その縁は必ず結ばれる。
今は理解してもらえないこともあるでしょう。それこそ明らかな誤解を受けていることもあるかもしれない。だとしても、それは今の相手の状況環境によるだけのこと。相手の状況環境変われば、理解してもらえることもあるし、誤解が解けることもありますよ。
人のものの見方や考え方は移ろいやすい。今の言葉が真意じゃない。今の行動がすべてじゃない。状況環境タイミング、それこそ過行く時間で変わることはある。わかりあえるときはくる。
■信じた道を進むのが理解してもらうための最短距離。
どうせ変わることがあるんです。ならば今の時点でわかってもらえないことについて、無理してわかってもらおうとしないことです。
たとえ状況環境に影響を受けてるとはいえ、相手は今の時点ではそれが正しく、それが最適と考えた上で言ったりやったりしてるんです。それに真っ向から反論しても余計に話しがややこしくなるだけ。
青に見えてる人と、赤に見えてる人で議論をするようなもので、まったく不毛ですよ。そもそも見てるもの感じてるものが違うんだもん。そんなところでやり合ったところで、感情のすれ違いがエキサイトして、それこそお互いにとって、抜き差しならない事態になりかねない。
ならば、そこでは矛を収めておけばいいんです。やがてわかってもらえるときがくる。こちらもいずれ理解してもらえる説明ができるようになる。今は状況環境がお互いよくない。歩み寄れるようになるまで、今はそれが誤解であっても、引き下がる勇気を持っていい。
それでも絶対譲れない。決裂しようが知ったことか。ここで白黒はっきりさせなきゃいつさせる。という、ことでもあるなら、徹底的に燃え尽きるまでやればいい。でも実際そんなことはほとんどない。一時の感情に身を任せてすべて台無しにするなら、少しくらい待ってからでも遅くはない。
確かに誤解されているもどかしさ。わかってもらえない寂しさもあるでしょう。でもそれって、結局どんな場面でも起こること。人と人との関係だから、その場は理解し合えないことはある。
誤解されてしまうような、自分の伝え方の悪さは反省すればいいじゃないですか。わかってもらえるように、根回しや調整に力が不足していたことも反省すればいい。でも、結果今の時点でわかり合えないなら、それはもうしょうがない。
そこで中途半端に相手に迎合したり、信念捻じ曲げても意味がない。結局はその場しのぎで、どうせ同じことはまた起こる。その度に相手の顔色うかがって自分を変えてれば、それこそ自分が何やってるのかわからない。相手にしたってそっちのほうが不信感になるってものでしょう。
ならば自分が信じた道を進めばいい。そして、いずれ自分の考えを理解してもらえる日が、そのタイミングがくると必ず信じる。今は黙って自分のやるべきことをやればいいんです。
状況環境は刻一刻と変わるもの。そして僕たちはその影響を無視できない以上、その場そのとき見えるもの感じるものが変わり、言うことやること変わるんです。今わかり合えなくても、わかりあえるときはある。今誤解されていても、その誤解が解けるときはくる。
その相手があなたにとって大切な人ならなおさらのこと。ちょっとしたいざこざ、小さな誤解で揺らぐ関係なんかじゃないでしょ。だったらその人を信じればいいんです。今は無理でも必ずわかってくれる、必ず理解し合えると。
<参考過去記事>
本当に大切な人を信じて委ねれば、お互いが愛を引き寄せる。自分の想いに素直になれれば、お互いの想いが通じ合う。
とはいえ、上でも軽く言ったように、そもそも誤解が起きないように、相互の理解に齟齬が生じないように、日常のコミュニケーションは重要ですよ。いくら状況環境次第、気分次第と言っても、そもそも日ごろからお互いの認識がズレてるなら問題外。
そして最後の最後は自分を信じる。周囲がどうの他人がどうので右往左往しないで歩き続ける。その想いを自らが行動によって示すから、今は無理でもいずれ伝わるときがくるってもんですよ(^。^)y-.。o○