悩んだり考えたりしているよりも、動いてしまえば答えがわかる。迷って立ち止まってしまうなら、えいやっと決めて動いてみよう。
■未来に100%の確証を得ることはできない。
過去の事象を踏まえつつ、現状を冷静に判断し、一つ一つ考えを積み上げていくことで、ある程度の未来予測はできるもの。
それでもやはり予測に過ぎない。予測と実績が異なるどころから、激しく乖離していることなんてよくあること。こんなはずじゃなかった。こんなに素晴らしい結果になると思わなかった。そんなことは日常茶飯事。
そりゃ超能力者でもなきゃ、完全に確定した未来なんかわかりませんよ。よく当たると評判の占い師や霊媒師にだって、寸分違わぬ未来なんてものは見通せない。いや、そういう力のある人もいるのかもしれませんが、少なくとも僕は会ったことがない。
なのに、未来の保証を求めてしまう。確定した未来が見えない限り、何も決めない動かない。ってそれ時間の無駄でしょ。
だって未来のことなんてわからないんだもん。いくら考えようが、いくら思い悩もうがわかるのは今この瞬間のこと、そして過去の実績。今より先のことなんてどうやったってわかりませんよ。
どんなに一つ一つ真剣に考え、綿密な計画を立ててみたところで、明日の通勤途中にバナナの皮ですべって転んで死ぬかもしれない。馬の後ろ足で蹴られてアホになって記憶が消えるかもしれない。人生にはまさかの坂がある。あらゆる可能性はゼロじゃない。完全に確定的な未来なんてわからない。
もちろん、単なるノリと思い付きだけの行き当たりばったりは問題外。考えるべきは考える。過去の実績を振り返り、現状を客観的かつ冷静に評価し、推論を一つ一つ積み上げて未来の予測はすればいい。予測に応じてイメージを描き、計画は立案する。
でもね、僕たちができるのはそこまでですよ。予測も計画もすべては脳内のことでしかない。紙に書こうがパワポで作り込もうが、それは現実に起こったことじゃない。それでもまだ未来のことは誰にもわからない。
そしたら後は「えいやっ」と決断して行動するしかない。100%の確証なんか得られないんです。だったら後は何で埋めるかというと「えいやっ」しかないでしょう。
さんざん考えた予測や、たてた計画が良かったか悪かったか。んなモンは「えいやっ」の後にしかわからない。脳内でグルグル循環してるだけ、パワポをグリグリこねくりまわしているだけじゃ、永遠に結果を知ることのないまま時間だけを無益に過ごすハメになるんです。
考えたってわからないこと、待っても意味のないことを、考えたり待ったりして、100%の確証を得るまで何もしないのなら、最初から何も考えないほうがマシ。だってそれ、考えたり待ったりしてるフリと同然。何もしないと明言しているようなもんだから。
大丈夫ですよ。「えいやっ」で動き出してしまっても、焦らず慌てずちゃんと一つ一つ目の前のことを対応していけば、それで困ったことになんかなりませんから。
<参考過去記事>
焦らないで丁寧に対応すれば、すべてはもっと良くなる。集中して、今できることに取り組もう。
一方で考えれば答えがわかるなら考えればいい。待てば判断できることなら待てばいいんです。そりゃ当然。なんでもかんでも「えいやっ」じゃ何も考えてないのも同じこと。いやまあ全部が全部「えいやっ」だけなら、それはそれでカッコいいとは思うけど。
いずれにしても、永遠に今の時点ではわからない答え、あるわけもな未来の確証を求めるだけで、何もしない時間を過ごすなら、とにかく前に進んでしまったほうが、得られるものは少なくない。
■答えは常に「えいやっ」の後にある。
こんなことなら、もっと早く動いてやっておけば良かった。あのとき決めとけば良かった。と思ったことの一つや二つ、あなたにもあるでしょうし、僕にもある。一つ二つどこじゃないかもしれませんが。
少し乱暴な言い方かもしれませんがね、どうせ何やったって失敗するときゃ失敗するし、うまくいくときゃうまくいくんです。でもそれがわかるのは「えいやっ」と決めた後だけなんです。それ以前はすべて脳内の妄想の世界のお話しでしかない。
それで仮にうまくいかないことがあったところで、上でも言ったようにリカバリーはできるんです。それで困ったことは起こらない、よほどのことでもなきゃ命までは取られない。
人間関係でも同じでしょう。あの人とうまくいくかどうかなんて、その人と接してみないとわからない。付き合ってみないとわからない。
あの人がどう思うかを、あれこれ推測したって本心なんてその人本人しかわからない。他人の噂や評価だって結局それは他人の視点、他人の感想。ホントにその人とうまくいくかどうかが「えいやっ」と懐に飛び込んで、付き合ったみなきゃわかるわけない。
やってみなけりゃわからないこと、関わってみなきゃわからない他人の心。その答えをただ考えるだけ。考えるだけだか、余計な情報をさらに見聞きし、ますます悩んでやがて袋小路へ。気づいたときには歳だけ重ねて、あれ、私なにやってたのかしら?
迷うことも考えることもプロセスとしては重要だし、そこは端折るべきところじゃない。でもどんなに思考を積み上げたところで、実際の行動が伴わなければ、その答えは永遠にわからない。いや、わかったときに、あのときやっとけば、なんて後悔しても遅いっつーの。
悩んだり考えたりするのに、ストレス感じて疲れるのと、「えいやっ」の後に起こるさまざな出来事を乗り越えるために、ストレス感じて疲れるのと、かかる労力は大して変わらず。でも得られる経験値は天と地の差。
どうせやってみなきゃわかりませんよ。考えるべきことは考えたでしょ。予測も計画もできてるでしょ。だったら後は「えいやっ」でいいんです。答えは常に「えいやっ」の後にある。
まあ最後の最後は自分の選択自分の決断。やるもやらないも、止まるも進むも自分で決めるしかないんですがね。
<参考過去記事>
やりたければやればいい、やりたくなければやめればいい。その選択の権利は、他の誰でもなくあなたにある。
どんなに考えたって答えは「えいやっ」の後しかわからないんです。今の時点で100%の確証を求めること自体がバカバカしいことでしょ。ある程度考えたなら進めばいい。というより進む以外に答えを見つける方法はない。
そうやって決断してしまえば、ぼんやりとしてたイメージも必然的に鮮明になり、途中に紆余曲折あったとしても最終的には望みの結果を手に入れることができるってもんですわな(^。^)y-.。o○