顔の数だけ人生がある。その人の生き方を理解しようとするから、信頼関係が深まる。
■実は人のことなんてわからない
誰にでもこれまで歩んできた道がある。これまで関わってきた人がいる。そしてこれから歩もうと思う道もあるし、これから関わる人もいる。
その道順は人の数だけあるもので、出逢いだって人の数ほどあるものですわ。
街ですれ違ったあなたと無関係なあの人も、あなたの大切なあの人も、そしてあなたも僕も、これまで歩んできた道があれば、これから歩もうとする道がある。これまで関わってきた人もいるし、これから関わる人もいる。
みんな何かを背負ってる。みんなこれから何かを背負う。
とはいえ、その内容は分からない。一言二言の会話のやりとりや、パッと見の印象でその人の本当のことなんかわからない。
その人とのわずかな会話のやりとりや、その人の印象のみでその人のことを理解したつもりになってみたところで、実のところは何もわかっちゃいないんです。
逆の立場で考えてみればカンタンなこと。あなたのこれまで歩んできた道や、あなたが関わった人、そしてそれらを基に創られたあなたのパーソナリティの全て、それこそあなたの100%を理解してくれてる人なんていないでしょう。
まあすごく密接な関係にある人であれば、100%に近いかもしれない。それでも100%じゃない。何年付き合った相手であっても、あ、こういう一面もあったのね。そういう発見をするときはある。
少しのやりとり、いくつかの会話のやりとり、それでその人のすべてがわかるワケないのは当たり前。なのに、どっかでその人のことを理解し切ったつもりになるから、すれ違いが起こる。ささいなトラブルの原因になってストレスがたまるんです。
もちろん誤解は対応の仕方で解けるもの。
<参考過去記事>
図解あり/お互いの小さな誤解から心に波風が立つ苦しさは、誠意ある対応の積み重ねで未然に防げる。
それでも、相手の本質的なところまではわからない。いや、わからなくていいんです。わからない。わかってないという前提で、わかろうとするかどうかが大事でしょ。
■理解しようとするから尊重する
まあ、人への評価として懐が深いとか、底が浅くて知れてるとか、その人の言動を見た上でその場そのときに思うことはあるでしょう。
それでも、それはその人の一面でしかないというのも事実。ホントのホントのところまではわからない。
言うまでもなく全ての人の、全てのことをわかる必要なんてないですよ。そんなことしてれば逆に疲れる。理解せずとも嫌いな人はいるし。今後一生関わることの無い人もいる。それはそれで縁がないからしょうがないのでさようなら。
せめて身近にいる人、一緒に仕事をする人、大切だと思う人のことは、理解しようとする心構えがあったっていいじゃないですか。
わかった気になって、良くも悪くもレッテル貼って思考を停止させないことです。まだまだその人のことを知りたい、理解したいと思って接することです。
すると必然的に相手を尊重するので言葉も選ぶようになる。相手の声や態度の向こうにある、その動機に想いをはせられる。だから思いやりのあるコミュニケーションが生まれるんです。
<参考過去記事>
図解あり/主導権を握りたがると愛はあなたから遠のき、主導権を手放すと愛があなたに近づいてくる。
どっかで相手を理解したつもりになっているから、言葉がぞんざいになる。このくらいでいいだろう、そんなやっつけ仕事での対応になる。それがコミュニケーションの齟齬になりストレスになる。
冒頭にも言ったように、どんな人にもとても語り切れないほどの人生がある。それを基につくられたパーソナリティがある。それをほんのわずかなやり取りだけでわかった気になるから、それ以上に関係が深くならないんです。
まずは今日関わる身近な誰かの生き方に対してもっと興味を持ってみることです。それだけ不思議とコミュニケーションがいつも以上に楽しくなるもんですわな(^。^)y-.。o○
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