愛を失う恐怖ではなく、愛を与える喜びを感じればやさしくなれる
■愛を失う恐怖はときに人を凶行にさえ走らせる
成功哲学の祖であるナポレオン・ヒル博士は、人間が根源的に抱く恐怖心の一つとして、「愛を失う恐怖」を挙げています。
そもそも人間は、誰かに認められたい、愛されたいという欲求を抱く存在であり、それを失うことについては誰もが恐怖を感じざるをえないということでしょう。
そして、人生で大きな失敗をする人と、大きな成功を収める人の違いが、「愛を失う恐怖」をコントロールできる人とそうでない人の違いであると。
なぜなら、「愛を失う恐怖」とは、すべての恐怖や不安の中では最も危険な感情だからです。
自分を愛してくれている人の愛が、自分以外の人へ向けられていると感じるとき、私たちの心には嫉妬や独占欲が芽生えます。
そうして、愛を失う恐怖に取り憑かれてしまうと、相手の興味を引くことにのみ気を奪われ、法や社会正義、そして平穏な生活を営むことでさえ気にならなくなっていまいます。
さらに、愛を失う恐怖は、ときに憎悪の伴う凶器とさえなり、他人に苦情ばかりを言ったり、口汚く罵ったり、最悪の場合は他人を傷つける凶行へと走らせてしまうのです。
ナポレオン・ヒル博士はこのような心の状態を現すために、以下のような事例をあげています。
脱税によって服役した男がいます。彼は決して凶悪な犯罪者でもなければ、不正直者でもありません。
彼が脱税したのは、妻に与える金が欲しかったからです。しかし、明らかにこの男性は、自分の問題を理性や分別によって前向きに解決しようとはしませんでした。
妻の愛を失いたくない、という恐怖に駆り立てられるままに、一生涯その恐怖と不安に縛られる道を選んでしまったのです。
ナポレオン・ヒル
愛を失う恐怖は誰の心にも芽生えるものです。それを防ぐことはできません。
なぜなら前述のように、私たち人間は、誰かに認められたい、愛されたいという欲求を根源的に抱く存在だからです。
■愛を与える喜びを感じる
私たちは誰かから愛を与えられているのと同じように、誰かに愛を与えているのです。このことを忘れてはいけないでしょう。
あなたが誰かの愛を失うことを恐れているのと同じように、誰かもあなたに今注がれている愛を失うことを恐れている。そのことも忘れるべきではないでしょう。
愛とは無償。
それは望まれたり強要されたりするものではなく、自らが主体的に、その人のためにそうしてあげたい自然発生的に芽生える感情。
これも人間が根源的に抱く欲求の一つです。
愛を失うことを恐れるよりも、あなたが今誰かに愛を注げていることに着目しましょう。
愛を注ぐということは、単に物質的なものを与えることや、容姿を着飾ることによって関心を惹き付けようとすることではなく、その人のために無償で最善かつ最大の力を尽くすということ。
それが結果的に相手にとって大きな恩恵をもたらすということです。
<参考過去記事>
図解あり/お互いが主体性を発揮する緊張感ある関係だからこそ価値がある
そして、愛を注いでいることを実感できているとき、あなたはとてつもなく大きな喜びに満たされると同時に、大自然と調和した、寛大な優しさとぬくもりを心身ともに感じることができているはずです。
愛を失う恐怖を感じることがあっても、その恐怖にたじろいではいけません。その恐怖に駆られ、突発的で感情的な行動を起こしてはいけません。
相手からの愛が失われたとしても、あなたが注ぐ愛がなくなるわけではありません。
愛を注ぎ続けることができれば、突発的で感情的な行動や発言で、傷をより一層深くしたり、さらに自分を袋小路へと追い込むこともなります。
喜びとともに相手を理解することができます。寛大な精神で相手を許すことができます。
そして何よりあなた自身にとって内省とともに自己成長の機会とすることができます。
愛を失う恐怖が芽生えるのは仕方のないことです。
同じようにあなたも誰かに愛を注いでいることを自覚し、そこから得られる恩恵に目を向けましょう。
まあそのほうがイライラもしませんしね(^。^)y-.。o○
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