人は人の話を聞いてないし覚えてない。だから気にする必要ない。
■アウトプットで血肉化する
自分の考えや思いというものは、極力さまざまな形でアウトプットするべきですな。
それは他人とのシェアでもいいし、自分自身の備忘録的なものでも日記でもいい。
アウトプットするということは、自分の心の中で持ってる情報の整理ができていないとできないもんです。
だからアウトプットしようという心の働きは、自然と整理をつけようという心の働きになる。
そしてそれが見たり聞いたり体験したりしたことを、自分自身の血肉とすることができるというわけで。
で、そのときのポイントは、自分のアウトプットを他人がどう思うかなんてのはあまり気にしないことですよ。
もちろん社会常識や道徳的観念の範疇でというのは言うまでもないことですが、これを言ったら変に思われるかもしれないとか、自分の株が下がるんじゃないかとか。
そんなのは全然気にする必要ない。
僕も色んなとこで言ってることですが、どうせ他人は人の話しなんか聞いてないし、覚えてない。
だから気にする必要なんかない。
そしてもう一つ。自分のアウトプット、つまり発言に縛られないことです。
まあ大人ですからね。自分が言った言葉には責任は持たなきゃいけない。そりゃ大人ですから当たり前。社会人なら常識です。
とはいえ、自分が言った言葉に自分で縛られることほどバカバカしいことはない。
過去にこういうこと言った手前、今もこうしなきゃいけない。以前の発言と違うこと言うのはちょっとおかしいと突っ込まれるんじゃないか。など。
誰だって毎日生きてりゃ、新しいこともあるし、いろいろな影響を受けながら考え方や方針も変わる。
過去にこう言ってしまったから、そのとおりにしなきゃいけないなんてことはない。だって、今はそう思ってないんだから。
■どうせ誰も聞いてないし覚えてない
だいたい、あなたが過去にどんな発言したのかなんて誰も覚えてませんよ。10分前の発言だって覚えてない。
そもそもこのブログの過去ログだって、読んだほとんどの人は誰も内容覚えてない。その場は「へー」と思っても翌日には忘れてますよ。
だから気にすることはない。自分が何を言うのか。何を言ったのかなんて。
もちろん、言ったことの内容や、もし言うことが変わった理由について説明を求められれば、説明すればいい。
これこれこういう考えだ。こういう事情でで変わったんだと。
だから、単なる行き当たりばったり、その場しのぎで言い放しというのは単なるアホですよ。
ちゃんと考えることもなく、その場そのときのノリと空気と脊髄反射でのみ、ものを言うのとは意味が違う。
まあ、脊髄反射で発言したところでロクなことありませんし。
<参考過去記事>
言い返しても失うだけ。ときには黙って守ることも必要
善し悪しに関係なく、自分でしっかりとした考えたことをアウトプットしたり、それが後で状況や環境に応じて変わことは、ちゃんと説明できるはずなんです。
どうぜ誰も聞いてない。聞いてたところでどうせ忘れてる。
そんな他人の目を気にして、アウトプットを控えたり、過去の自分のアウトプットに縛られることほど、もったいないことはありませよ。
一応繰り返しますが、その場しのぎで適当なこと言ったり、立場によって言うことがコロコロ変わるのがいいという話しじゃあありません。
体験からの学びをアウトプットするプロセスを経ることで、それを自らの血肉化する。そして自分のアウトプットに縛られるあまり目標達成の手段にのみ拘泥しないということ。
そのためにはどうせ聞いてない、覚えていない他人のことなんか気にせず、どんどんアウトプットするべき。ということです。
そうは言っても実際には他人は人の言ったこと聞いてるし覚えてることも多い。でも聞いてても覚えてても、特に何の気にもしてないってことですわな(^。^)y-.。o○
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