悪ノリが過ぎるのではないか、というありがたいご指摘を何件かいただいている、小川ブログメールマガジン。
これでもまだずいぶんとオブラートには包んでいるのですが、悪ノリをということについては少なからず意図が伝わっているようで何よりです。
まあ基本的にはメンタル弱い方にはお薦めしてません。というよりブログでできない悪ノリをするためのものなので、それを許容できる方はどうぞ。
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やり直しはいつでもできる。完璧を求めて立ち止まっているより、経験を求めて前進しよう。
■他人は他人の世界で生きている
頑張れとか応援してますとか、いつでも力になります何て言葉は誰だって言いますよ。
だって言うだけタダだし、それで相手が喜んでくれるなら気分がいい。
そう言ってる自分が好きだし、言うだけで何となく良いことした気分になれるもの。
とはいえ、そのほとんどは社交辞令。
いや、もちろん心からそう思って言ってくれてることもある、それにそういうコミュニケーションで信頼関係が積み重ねられていくというのも事実としてある。
一方で、それ言われたほうはその言葉を真に受けて、その相手を頼りにしていいのかといえば、そういうことじゃありませんよね。
何でも力になりますよ。じゃあ俺の借金肩代わりしてよ。全部じゃなくて一部でもいいから。いやそれは無理。
そう断られるのがオチでしょう。っつーかそれ普通。
要するにね。そんなもんですよ。世の中なんて。だから最後は自分で責任持つしかない。誰にも頼らず自分で覚悟を決めるしかないんです。
繰り返しますが、他人の善意や誠意を疑えという話しじゃない。誰だって善意で言葉をかけてくれている。誰だって誠意をもって接してくれている。
<参考過去記事>
図解あり/言葉は善意でできている。悪意のある発言なんてあまりない。受け容れる心構えと解釈次第で、善意が悪意に変わるだけ。
だからといって、あなたの人生に責任を負ってくれるわけじゃない。あなたを助けなきゃいけない義理はあったとしても、法的に束縛されるもの以外では義務はない。
応援してくれる人もいるでしょうし、助けてくれる人もいるでしょう。優しい声を掛けてくれたり、あれこれ気を遣ってくれる人もいる。
それでもある日突然ハシゴは無慈悲に外される。それで相手を責めても仕方ない。
相手には相手の都合があり、相手は相手の世界の中で、必死なんです。誰だって他人の世界より自分の世界が優先なんです。あなたに構っている余裕はない。
■最後の最後は自分の覚悟
応援してくれる、助けてくれる仲間がいることは素晴らしい。そういう人たちの言葉や、助け、そしてその存在自体が力になることも間違いなくある。
助けてもらえることは助けてもらえばいいじゃないですか。そして言葉や行動で感謝も示せばいいんです。
それでも最後の最後は自分次第ですよ。
誰が助けてくれるとかどうかなんて関係ありませんわな。何があろうと、たった一人であろうとやり切れるかどうか。そこまで覚悟してるかどうか。決断してるかどうか。
見放されて梯子外されようが、最後の最後で裏切られようが。そんなんまったく関係ない。
最後は出前ぇでケツ拭くと決めてしまえば、周りのことや他人のことなど考えるだけ無駄でしょう。とにかく自分で前に進むだけになりますよ。
誰も助けてくれないから。誰も理解してくれないから。そんなのは止まっている理由にならないでしょ。ホントにやるんなら、やりたいと思ってるなら、やれよ。一人でも。
そこまで腹をくくってやってれば、そこまで真剣に取り組んでいることなら、結果的には誰かが必ず力を貸してくれますよ。最後の最後で足りない分を補ってくれますよ。
<参考過去記事>
何かをやるのに誰の力もいらない
それもしないで、ただ他人の言葉に甘えて、期待だけしてみたところで、結局何も動かない。結局心のどこかで他人に依存しているから、みんな面倒だと思って近寄らない。応援するだけ。
とにかく自分でやると覚悟を決めることでしょう。誰かが助けてくれるかどうかはその先の話し。そう思ってしまえば自動的に前進するしかなくなりますもんね(^。^)y-.。o○
引き続き日本のどこかでお会いしましょう!
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