負った傷の数だけ人としての魅力が高まる。傷は経験値としての莫大な財産になる。
■やってみると意外とできる
無理と思っていたことでも、やってみると意外とできたということは、意外とあるもんです。
これまでの経験のみを拠り所にして、パッと見だけで、あーこれ無理だわー。と思ってみたものの、実際にやってみると簡単にできてしまった。
そんな経験の一度や二度は誰にだってあるはず。
とりあえず脊髄反射で無理だと判断してしまえば、自分に言い訳できますからね。あれは俺には無理だったんだ。だからしょうがない。
状況や環境が好転しないのは俺のせいじゃない。チャンスにめぐり合わないのは運が悪いからだ。
あのとき、取り組んでおけば、今になってこんなに苦労することなかった。俺ってホント運が悪いわ。
まあ100万歩譲って、チャンスや機会に気づかなかったという話しならまだわかる(これはこれで別の理由がある)にしても、それに気付きながらも無理を理由にスルーしてるんだったら救いようがありませんわな。
だって、やってみなけりゃわからないことでも、とりあえず無理だと決めつけてそこで思考と行動を止めているなら、どんなチャンスがあろうが、毎度同じことの繰り返しでじゃないですか。
そこで、チャレンジすることが一生を左右するような大事件であればまだしも、そんな大事件なんてそうそうないでしょ。
実際はどれもやってみて仮に失敗したとしたって、大したことじゃないですよ。
もちろん、なんでもかんでもやりゃあいいってもんじゃない。ちょっと考えればやるだけ無駄なことだってある。それはそれでその分別は必要ですがね。
■やって損することはない
先にも書いたように、それが一生を左右するような決断であるならまだしも、そうでないなら、とにかくやってみることでしょう。
無理かどうかよりも、それにチャレンジすることによって得られる経験値に価値を見出せばいい。
30秒でいいんです。ちょっと考えてみる。
<参考過去記事>
無理と判断する前に、30秒考えるだけで思考と行動の可能性は拡がる
結果、痛い思いをするかもしれないし、夜通し泣き明かすようなことになるかもしれない。それにしたって命までは取られませんって。
僕の個人的な考えですが、過去が順風満帆であるよりも、負った傷の多い人、痛い思いをした数の多い人のほうが、男女問わず付き合ってて面白いし魅力を感じます。
それにそういう人は他人の痛みもわかるから、細かい気遣いができるし、常に誰に対しても、そして自分自身の人生に対してでさえ謙虚ですよ。だから周りに人が集まるのでしょう。
言っておきますが、チャレンジを回避して、無難でいることを良しとすることが悪いこととは思いませんよ。それはそれ。そういう人でも尊敬できる人はたくさんいます。
まずはチャレンジしてみることです。それでチャンスが掴めりゃ儲けもの。
やってみなけりゃ何も起こりませんし、やってみたら拍子抜けするくらいうまくいくことだってある。
あの人に告ってもフラるかもしれないし・・・
大丈夫です。フラれたところで泣いて酒飲んで寝て、三日もすりゃ笑い話し。
この企画を提案してもクライアントに断られるかも・・・
大丈夫です。断られたところで上司に怒られ凹んだところで、三日もすりゃ笑い話し。
できないかもしれないし、失敗するかもしれない。そして傷つくかもしれない。そしたらそれはそれで儲けもの。経験値が積み重ねられる自分が磨かれる。
まずは今日。何でもいいんです。あーちょっとこれ無理かも。そう思うことがあったら、とにかくやってみることです。やれば絶対損しない。嘘だと思ってやってみる。騙されたと思ってやってみる。
その時点では騙されたー!と思うかもしれない。でもね、しばらくしたら僕に抱きついて感謝したくなるはずですよ。これは間違いなく(^。^)y-.。o○
■行動を生み出す言葉のヒントを禅から見つけてみてはどうでしょう。
↓
新発売
禅+大脳生理学+宇宙の法則=輝ける生と死
<善因善果の法則> 高田明和/浜松医科大学教授・曹洞宗僧侶
詳細はこちら
※ちなみに特典インタビューCDの聴き手は僕が担当してます。