誰もあなたに強制してない。やるもやめるも、愛するも憎むも、選択権はあなたにある。
■受け容れているのはあなた
さまざまな出来事が重ねるほど、自分の意思とは無関係に、自分がそう望んでいるわけではないのに、不本意な状況や環境に陥っていると感じることがある。
周囲の人や環境、それこそ運などの不確実な要素にその原因を求めたくなる気持ちもまあわかる。
仕事上での命令については、そりゃ拒否権はないでしょう。拒否できるならそもそも命令じゃないし。
しかし、かといって選択権がホントにないわけじゃない。つまりは命令を無視し、その組織を去るという選択だってあるわけで。
つまり、誰かがあなたに強制しているんじゃない。もちろん頭に拳銃つきつけられて強制されれば話しは別。家族を人質にとられたってことなら、それこそ選択肢はありません。
とはいえ、実際にはそういうことなどほとんどない。強制的に何かをやらされているようで、実はそれを最後の最後は自分で受け容れているだけってことですよ。
ホントに嫌なら、そこから離れればいい。ホントにできないなら諦めて別のことやればいい。心のどこかでそれを受け容れているから、その状況になるだけなんです。
僕たちは誰であれ、そのときその瞬間ごとに判断をし、決断をしている。それが大きいか小さいかに関わらず、最後の最後でそれを決めてるのは自分なんです。受け容れてるのは自分自身なんです。
だから文句を言うな。ということじゃない。
自分の判断、そして決断の結果が今の状況であるならば、この先の判断や決断の内容を変えれば今と違う未来がやってくるという話しですよ。
参考過去記事
今日は昨日の延長で、明日は今日の延長。今は過去の結果で、未来は今が原因。
選択肢は自分にある。というより自分にしかない。
言葉上、表現上、なんとなく他の誰かや周囲の状況に強制されているように感じたとしても、それはそう感じているだけで事実とは異なる。
事実はたった一つですよ。決めるのは自分。ということ。
■受け容れているのはあなた
だからやりたければやればいい。やりたくないならやらなければいい。最後の最後は自分の選択。自分以外の誰も決めてくれない。
決められているようでも、その決定を受け容れた自分の責任。こればっかりは逃げられない。
でも結局そこを受け容れられれば、結果がどうであれ納得感があるのも事実。心のどこかで他人や周囲の環境、運なんかに原因を求めたところで、やりきれない気持ちが残るだけでしょ。
自分で決めて自分で責任とる。そう腹を決めれば、最後はうまくいかなくても納得できる。だから割り切れるし気分転換もすぐできる。さらに客観的に反省して次のステップへ進むことができる。
<参考過去記事>
うまくいかなければ方法を変えるのも一つの方法。それをやめるのも一つの方法。
人に対しても同じこと。憎いヤツがいるんじゃない。あいつが憎いと思う自分を受け容れているだけなんです。それがモティベーションの源泉になるならそれもいい。いわゆるこんちくしょーパワー。
一方でそれがストレスになるなら、判断を変えればいいだけですよ。あいつを憎いと思わない。そうスイッチ切り替える。それでいきなり好きになることはないでしょうが、少なくともストレスは軽減できる。
人を愛することだって同じでしょう。その人を愛したい自分でいることを選んでいるだけなんです。
いずれにしても、最終的な選択肢が自分にあるのであれば、自分と自分が大切に思う人たちが、幸せになれるような選択をしていきたいものですわな(^。^)y-.。o○
10月の大阪はいろいろ盛りだくさん。
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