耐えて機会をうかがい続ければチャンスを手にできる。ただ耐えているだけならチャンスをあっさり見逃す。
■諦めなくても耐えれば道は開けることもある
すべてが順風満帆ならそれが一番。思い通りにコトが進めばそれがサイコー。とはいえ、何をやってもうまくいかないときもある。
いや、自分はうまくいっているはずなのに、周囲の環境が理不尽にそれを許容してくれないときもある。
自分の力でどうにかなることもあれば、どうやったって自分の力じゃ、物理的にどうにもならないこともあるのが現実。
それがジタバタしてどうこうなることなら、いくらでもジタバタすればいい。が、ジタバタしてもどうこうならないときは、じっと耐えるしかないでしょう。
誰だって、そういうときはただじっと耐えるしかありませんわ。
無駄にジタバタしたところで無駄にエネルギーを消耗してしまうだけ。混乱に拍車をかけるだけ。だからおとなしくしてジッと耐えることですよ。
陽はまた昇るし、雪が溶ければ春になる。嵐はいずれ止むものですよ。
だから別に進むべき道を放棄する必要はまったくない。今は暗くて見えないだけ。今は雪で道が閉ざされているだけ。今は嵐で前に進めないだけ。
やがて進めるようになるんです。それまで諦めるのではなく、耐えればいい。待てばいい。
何やるにしたって同じですよ。自分で何かにチャレンジしてコトを成そうと思えば、必然的にその道は平坦なものではなくなりますわ。
<参考過去記事>
苦しくてしんどいのは成長している証拠。自分を信じて前進あるのみ。
進むことは大前提。一方で、進めなくなったら、その道を放棄するのではなくじっと耐えることです。放棄すればそれで終了さようなら。諦めたところがゲームセットですよ。
それで心が折れそうになることもあるかもしれない。でも耐える。最後は自分を信じて耐えるだけ。
■ただ耐えているだけなら時間の無駄
耐えると言っても、ボケーっと何もしないでいるのは意味がない。意味がないというより、思考停止は諦めと同義語。大事なことは耐えつつも次に備えるということ。
耐えるということはつまり、飛び出す機会をうかがい続けること。その機会がいつ訪れてきてもいいように、常に準備や自己研鑽を怠らないことでしょう。
不幸にして目標達成のための出世街道から外れてしまったならば、その行き先で耐えながらも、準備と自己研鑽を続けておくべきでしょう。そしてまた出世街道に戻る機会をうかがっていれば機会を逃すことはないですよ。
不幸にして好意を抱いていた異性に振られたならば、次の機会をうかがいながら、同じように準備と自己研鑽を続けておけばいいんです。また振られるかもしれませんが、自分が成長することで別の出逢いの可能性も拡がるものです。
諦めるのも一つの選択でもありますわ。明らかにその結果がわかりきっているのに、無駄に拘泥するなら時間の無駄。
<参考過去記事>
うまくいかなければ方法を変えるのも一つの方法。それをやめるのも一つの方法。
それでも耐えると決めたなら、単に待つのではなく、その間に何をするべきか。どうやって力を蓄え、どうやって自己成長の機会をつくるかを考えなければ、それも時間の無駄になるでしょう。
チャンスというやつは、どんなときでもアポ無し訪問してくるものです。訪問してこられてから、慌ててお茶の用意をしてたらすぐに帰ってしまうでしょう。
だから、たとえ今、自分にとって不本意な状況下に置かれていたとしても、いつ出番がきてもいいように準備だけは怠らないことですわな(^。^)y-.。o○