支えてほしいなら支えてもらえばいい。一緒にいてほしければ一緒ににいてもらえばいい。
■言われないとわからない
心が折れそうになるときもあれば、一人じゃいろいろしんどいと思うことは誰でにだってあるでしょう。
そのまま耐えて踏ん張れればそれもいい。それでもポキっと音をたてて折れてしまえば、それこそどうしようもない。
心が折れて自分一人で勝手に凹んでるだけなら、ご自由にどうぞ。とはいえ、往々にしてそういうときは他人のせいにしたくなるもの。
しかも身近で大切な人にその責任を押し付けようとするから始末が悪い。
あのとき支えてくれなかったあの人が悪い。あのとき一人で苦しかったのに気付いてくれないあの人のせい。いや、それって言いがかりもいいとこでしょ。
相手にしてみりゃ、何で困っているときに言ってくれなかったのか、なんで力が必要なときに声をかけてくれなかったのか。そっちのほうが残念ですよ。
もちろんそういうときにあれころ求められたところで、できることもあればできないこともある。しんどさや苦しみも当事者にしかわからないので、それを共有することだってできないかもしれない。
それでも一緒に何か考えることはできるかもしれない。せめて寄り添って心の支えくらいにはなれるかもしれない。気休めでも言葉の一つくらいはかけられるかもしれない。逆の立場だったら誰だって同じように思うことです。
心のどこかで支えを求めているにも関わらず、自分一人の勝手な解釈で相手に気を遣ってみたところで、実のところお互いにとってメリットなんてないんです。
だいたい言わなきゃわからないし、求めなければ何も与えられませんよ。だから支えてほしければ支えてほしい、一緒にいてほしければ一緒にいてほしいと言えばいいだけ。求めればいいだけ。
<参考過去記事>
心が弱っているときは誰かに頼って声にすればいい。声にすれば感情を吐き出せて、力を取り戻すきっかけになる。
まあそれが単なる暇つぶしや、かまってほしいだけのことならば、うっとうしいと言われてもそりゃしゃあない。ホントにそれが必要なときだからこそ相手は真面目に受け取ってくれることだから。
■求めれば助けられる
という話しをすると、そもそも支えてくれる人や一緒にいてくれる人がいない。という人がいますがそんなの関係ないでしょ。
別に家族や恋人といった特定のパートナーに限った話しじゃない。もちろん信頼できる相手や、心から大切に思える相手がいればそれが一番。そうじゃなくてあなたに関わる誰かであればいいじゃないですか。
ホントに困っているならば誰かが助けてくれますよ。ホントにどうにかしなけりゃいけないことならば、誰かがあなたに力を貸してくれる。もちろん自業自得の結果であれば話しはちょっと異なりますがね。
それに、単なる甘ったれの依存癖のある人からの要望でもなければ、誰かに頼られて悪い気する人もそうそういない。頼られるということはその人の価値を認められているということ。できる範囲で力になってくれますよ。
多くの場合、助けたいと思うから助けるのではなく、助けを求められるから助けるんです。人にいつも助けられる人というのは自分でちゃんと助けを求められる人。人に支えてほしいと言える人でしょう。
上でも言ったように何の自助努力もなしに、完全なる他力本願であれば相手にされないのは当然ですが、そもそも心が折れそうになるくらいまで頑張ったのなら、誰かに支えを求めたってバチ当たりませんよ。
なんだかんだで誰だって一人では生きられない。どこかであなたも誰かを助けてるし支えてる。一方でどこかで誰かがあなたを助けてるし支えてる。なので、ホントに心から支えを必要だと思うときに限って、つまらない意地やプライドで自己解決しようとする意味もあまりない。
まあよくわからないプライドごときで意地張るのもいいんですがね、それこそしんどいだけだから。そこは素直になってみればいいんじゃないですか。
<参考過去記事>
許せないのは相手じゃなくて自分のこと。意地を張らずに素直になれば気持ちも楽になる。
普通に素直になって、支えてほしいなら支えてもらえばいいし、一緒にいてほしければ一緒ににいてもらえばいいだけのことですわな(^。^)y-.。o○
来年もいろいろあります。
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