自分の気持ちに素直になれると、決断できるし行動できる。理屈ばかりであれこれ考えてると、迷いが増えるし行動できない。
■決断のための最後の根拠
あれこれと判断に迷うときはある。決断すべきとき、行動すべきときだということがわかっていても、それができないときもある。
確定的な未来なんてのは誰も見通すことができない以上、あれこれ迷うのはある意味では自然のことでしょう。
自分の選択が良い結果を生まなかったらどうしよう。そう不安に思うことも、危険回避の防衛本能の一つであると考えれば、それもある意味では普通のことです。
とはいえ、いくら迷ったところで、いくら考えたところで正しい答えが出るかといえばそうじゃない。今言ったように、誰であれ確定的に未来のことを予見することなんかできないもん。
どちらの選択肢にも、それを選択するだけの根拠がある。その根拠に基づいて論考を重ねると、どちらを選択しても良い結果が出る可能性があるし、どちらを選択しても良くない結果が出る可能性もある。
だったら最後の根拠。いわゆる選択の決め手は、自分がそれを好きかどうか。手に入れたいかどうか。それだけでしょう。
うまくいくかどうかわからない。わからないことについてあれこれ理詰めで考えたところで、わからないことはわからない。そりゃしょうがない。だってわからないんだもん。それでいいじゃないですか。
それでも明快になっているのは、自分の感情ですよ。ホントにそれが好きなのか。ホントにそれをやりたいと思うのか。あれこれ考えてわからないなら、信じられる根拠は自分の感情だけですよ。
それを本当にやりたいと思うのか。それを本当に手に入れたいのか。その人を本当に好きなのか。その仕事に本当に就きたいのか。
<参考過去記事>
やりたいかどうか。好きかどうか。要するにただそれだけ
最後は単純かつ簡単なこと。自分の感情に素直になればいいだけで。
■自分の感情の再確認
もちろん短絡的に何でもかんでも、好き嫌いで決めるわけにもいかないでしょう。大人の世界には大人の世界の事情がある。人生いろいろ事情もいろいろ。
それでも、論理的な考察を積み上げても、積み上げきれない最後の根拠は、自分自身の感情に拠る以外にないんです。
そこはもうあれこれ考える領域じゃないですよ。理屈でどうこうしようということじゃない。理屈で考えることはもう考えた。だったら後はそれを本当に好きかどうか。手に入れたいかどうか。その自分の感情に従えばいい。
言ってみれば原点回帰。
そもそもそれについて考えはじめたのは、自分がそれを欲しいと思ったからじゃなかったのか。そもそもあの人について考えはじめたのは、自分があの人を好きだと思ったからじゃなかったのか。
その感情の再確認ですよ。考えられることは考えた。あれこれ可能性についても考えた。その上で最後の最後に「エイやっ!」の決断スイッチ押すのは自分の素直な感情ですよ。
それで結果ダメなら納得もいく。自分の感情を素直に出して生まれた結果なら、素直に受け入れることもできるもの。
そこ押さえ込んで、最後まで中途半端に理詰めで考えて、いまいち納得いかないけど、まあ何となく可能性高そうだ。そんな基準で選んだ結果が悪いと、それこそ目も当てらない精神的大惨事ですよ。
まあ何やったって、最後の最後はフタを開けてみなけりゃわからないのが未来のこと。だったらせめて自分で納得いく結果にしたいものでしょう。
<参考過去記事>
図解あり/自分で決めて動くから、結果に関わらず納得感と充実感に満たされる。流されるから満たされずさまよう。
そのためには自分がそれを好きかどうか。それを手に入れたいかどうか。そんな感情に素直になってみるだけで、意外と物事はうまく進んでしまったりするもんですわな(^。^)y-.。o○
7月までの予定の確定分を更新しました。今週末は大阪でお会いしましょう!
↓
■全国セミナー・講演会開催予定(小川担当分)
https://ogawakenji.com/seminar
【毎日配信/ブログには書けないここだけの話し】
当ブログの最新の更新情報を中心に、ブログでは書けないここだけの話しや、都合によりカットしたネタ。また、各種お得なサービスのご案内などをブログ読者限定の無料メールマガジンでお届けしています。
(以下のバナー画像をクリックして登録フォームへどうぞ)