自分で決めるから結果に納得できる。自分で決めるから悪酔いしない。
■誰もが実は無責任
決断は素早く。どんなときにもこれ基本。それでも現実にはあれこれ迷うこともある。すぐに一歩踏み出せないこともある。それはそれでいい。
できるだけ失敗しないように、あれこれ情報集めるのもまあ気持ちはわかる。それもそれでいいですよ。
それでも最後に決めるのは自分自身。決断に伴うあらゆるすべての責任は自分自身にある。というより、結局は自分以外の誰かが、あなたの代わりに責任なんかとってくれるわけがない。
にも関わらず、他人というの好き勝手にいろいろ言うんです。いや、だからこそかもしれませんね。言うだけで責任取らなくていいから。自分は別に何も背負わなくていい他人事だから。
もちろん親身になって、あなたのことを心から思って言ってくれてのことかもしれない。それにしたって他人事ですよ。だって自分の利害に関係ないんだもん。あったところで影響は微々たるものでしょ。
それに何より、それが家族の言うことだろうが、あなたにとって大切な人の言うことだろうが、あなたの視点にはなれない。あなたの立場にはなれない。想像はできても想像の中のことでしかない。
おまけに、その人はその人で日夜考えることがある。だからあなたのことなんか言ってるほど考えてない。まあ何か言ってもその場の気分。特に意味もなく気軽に言ったりするんです。
<参考過去記事>
他人の言葉や行動なんて気分です。偉い人にはそれがわからんのですよ。
だから本当の意味での当事者はあなた以外にはいないんです。
言っておきますが、他人の意見に耳を貸すなということじゃない。むしろ他人の意見に耳を貸すことで気づくこともある。僕も色んな人に意見を求める。考え方を聞くし相談することだっていくらでもある。
■答えは自分の中にしかない
その善し悪しは関係なく、人は自分が生きる時代背景を超越しない範囲での主観でしか、物事を考えられない。すべては自分中心。自分の考え方でしかないんです。もちろんこのブログも僕の主観でしかない。
あそこのラーメン屋が美味い。あそこの定食屋がマズい。そりゃそう言っている人の主観ですよ。
だから他人の意見は検討材料としては価値があるとしても、決断材料にはならないんです。よほどのことで判断能力が著しく低下している状況下にでも無い限り、決断は自分でする以外に方法がないから。
そこで他人の意見を決断材料にするから、あとで言い訳がましくなるんです。だから自分の行動に後悔する。引きずって前に進めなくなるんです。もっと最悪なのは他人の顔色うかがって、自分自身を抑えて何もできなくなってしまう。
あの人がこう言ったから。あの人がこうしていたから。そんなん関係ないでしょ。そりゃそういうことがあったかもしれない。でもそれは判断の検討材料かもしれないけど、決断材料ではないでしょ。
繰り返しますが、他人の意見なんて無責任なもんですよ。特にそれが善意であったりするからタチが悪かったりするんですが、それでも自分の道を歩くのはその人じゃなくて自分なんです。それは親子だろうが夫婦だろうが同じこと。
参考情報としていろいろな人に耳を傾け、いろいろな分野にアンテナ伸ばす。それでも最後は自分で決める。他人がどうかじゃなくて、自分自身が本当にそれを望むかどうか。自分がそれをやると心地良いかどうか。
ときにリラックスして自分の心に問いかけてみるのもいいかもしれません。
<参考過去記事>
潜在意識が答えを知っている。道に迷ったときは自分の潜在意識に任せてみよう。
とはいえあまり難し考えることもありませんわな。結局はなるようにしかならない。成功だろうが失敗だろうが、自分が心から納得できるかどうか。喜んで飲む酒だろうが、泣きながら飲む酒だろうが、悪酔いしない酒になるかどうか。
自分の判断や決断を自分で褒められるかどうか。自分で自分に誇れるかどうかってことでしょうな(^。^)y-.。o○
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