しがらみは自分がそうだと思っているだけ。断ってしまえば実はどうということはない。
■制限を設けているのは自分
誰にも色んな事情があるのは当たり前。誰だって他人にはそうとわからくても、いろいろなことを背負って生きてるものでしょう。
だからできることには個々人によって限界がある。できることもあれば、できないこともある。そのレベルは人によって違うもの。
とはいえ、そのレベルを決めているのは他人や環境ではなく、自分自分であるという事実は、忘れてはいけないことでしょう。
ここまでできる。でもこれはできない。いやでもホントにそうか?
ホントに物理的な事実として絶対に、天地がひっくり返っても絶対できないことなのか。と考えてみりゃ実はそんなことはないことがほとんど。
物理的にどうこうじゃない。あれこれやこれやの大人の事情。自分の置かれた環境や、他人との関係性。その他の制約が自分の限界を決めているだけ。つまりは、しがらみから逃れられないだけのこと。
別にしがらみが悪いわけじゃない。冒頭言ったように誰だって色んな事情がある。その事情の中でできることもあればできないこともある。
もちろんこのブログも、一応はいろいろなしがらみの中で運営されているもの。そりゃかなり好き勝手やってはいますが、それでもできることとできないことの範囲の中での話しでしょ。
それでも重要なことは、しがらみと思っていることのほとんどは、自分自身の心が決めているということでしょう。
冷静になって考えてみればいいんです。じゃあ自分がしがらみだと思っているものを、仮に断ってみるとすれば自分がどれだけの不利益を被ることになるのか。自分が失うものがどれだけあるのか。
それがどんなことであれ、起こっていることの意味は自分の心が決めていること。
<参考過去記事>
図解あり/起こった事実は変えられないが、起こった事実の意味と解釈は自由に変えられる。
ならば自分の心にある、しがらみ正体についても考えてみればいいんです。
■本当はもっと自由になれるはず
しがらみを断つことで、自分が不幸になる。あれやこれやと不利益被る。それが確定的なことであるならば、別に断つ必要もないでしょう。もしくは、それが自分の目標を達成するための大事なプロセスの一部だというなら、それもアリ。
でも、実は断ってみたところで、それほど不利益がない。あれ、別にそんなところ気にする必要もないよね。それって実はどうでもいいよね。そう思えることならさっさと断ったらいいんです。
特に人間関係では、これまでの付き合いもあるし。何となく寂しくなりそう。相手がいい顔しなさそう。のような関係をしがらみにして自分の思考と行動を制限しているなら、とっとと断ったほうがいいんじゃないですか。
まあ人間にしろ、それ以外のことにしろ、なんだかんだで引きずっていたモノを、ゴミ箱へポイと捨てたところで大して影響無かった。むしろすっきりして身軽になった。なんて経験は誰にだってあるでしょう。
言ってみればしがらみそのものだって思いこみ。上でも言いましたが、自分自身の制限を決めているのは自分以外にはいないんです。
ならばその思いこみの最大の要因である、しがらみそのものを断ってしまう。どうでもいい他人の顔色は無視すりゃいんです。小さなプライドや、いつでも取り戻せるような、その場だけの自尊心なんてのは、どっか遠くにやってしまったって問題ない。
<参考過去記事>
嫌なことならやめればいい。やめる勇気を持てれば恐れることは何もない。
自分がそうだと思っているだけのことに、一人でクヨクヨしたり悶々としてストレス感じているのもバカバカしいことですよ。断ってしまえば楽になるんです。
心を自由にすれば、今の時点で自分が思っている以上に、本当はもっと自由に動き回れるということがわかって心地良くなれるのでしょうな(^。^)y-.。o○
自分で思いこんでいるしがらみを断つ方法
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