愛も幸せも、〇〇を差し出すと引き寄せる。今不要なものへの執着は、すぐ手放そう。
愛も幸せも、〇〇を差し出すと引き寄せる。
あなたも僕もあの人も、いつか必ずこの世に別れを告げる。生きてる時間は、死ぬまでの時間。死ねば終わり。そこが限界。人の時間には限界がある。
誰であれ、限られた時間の中で生きている。人間ができることは無限大、なんてのは嘘っぱち。死ぬまでの間にできることを、取捨選択をするから目の前のことができるわけで、選択しなかったことは、できないということ。
もちろん、やりたいことはたくさんあっていい。出会いたい人だってたくさんいていい。とはいえ、その全ては無理。だって全部やる前に死ぬもん。いや、死ななくても老いてできなくなることだってある。
だから取捨選択する。あなたが手に入れたいことのために、別の何かは捨て去る。あっちもこっちも、そう言っているうちに時間は過ぎる。歳もとる。両手がふさがっていれば、新しいものを持つことはできない。新しく手にしたければ、不要なものは捨てることよ。
僕の小川健次メールマガジンや、LINEのメッセージを読んだり、YouTubeの動画を観たりするのも、選択の一つ。それをやってる間は他のことできないのだから。
あの人のことは忘れて、新しい人との出会いを考えたいけど、ひょっとしたら、またあの人と復縁するかもしれない。だから何となくの関係維持。嫌われないように気を遣い、気づいたときは都合のいい女。さらには歳も重ねていろいろ手遅れ。ってそれアホでしょ
挑戦したいことがある。そのためにはもっと仕事をしてお金を貯めなきゃいけない。でも友達と飲みにも行きたい、デートも行きたい。お金が全然貯まらない。それやってる限り何年経っても同じことの繰り返し。取るべき選択は何なのか、はっきりしろよ。
何を手に取り、何を捨てるのか。その良し悪しは、別にあなたの価値基準に従えばいいだけ。何がいいとか悪いとか、他人にどうこう言われることじゃない。大事なことは、選択をするということ。何かを手に取り、何かを捨てる。どっちつかずでは結局何も手に入らない。
確かに世の中には、立ち回りもうまく、器用で、欲しいものを全てをポンポンとうまく手に入れる人がいる。でもね。そんな人はそういない。だいいち、あなたがそんなに器用な人なら、このブログ読んでない。
それにね、ハタ目に見ると、器用に立ちまわっているような人も、実はちゃんと自分でしっかりと優先順位をつけて、取捨選択をしてるもの。目立ってはいなくとも、ときと場合に応じて、とっとと捨ててる。だから新しく何かが手に入ってる。
つまりは決断すること。決めて断つ。断たなきゃ同じことの繰り返し。断つ勇気と覚悟を持つことができる人だけが、手に入れたいものを手に入れることができるということ。
それ以前に、自分が何をやりたいかがわからない。何を基準に選択すればいいかもわからない。ということであれば、僕の『潜在意識徹底活用講座』へどうぞ。少なくとも今よりは、自分の頭の中を整理できるようになるから。
<参考関連リンク>
小川健次セミナー/潜在意識徹底活用講座
今さほど価値のないもの、今持っているだけで、実のところあまり意味のないもの。そういう類のものへの執着心なんか手放してしまえばいい。そうすりゃ行動が生まれるし、結果的に望みのものを引き寄せるから。
時間は無慈悲かつ無情。待ってくれることはない。あれもこれも、そんなことを言っているうちに過ぎていく。あなたに与えられた時間、あなたに与えられた命は、1秒すぎることに1秒減る。これ金持ちもそうでない人も皆平等。
今不要なものへの執着は、すぐ手放そう。
全部が全部手に入ればそれもいい。ダラダラした休日もやりたいし、飲みに行って遊びもしたい。他人から認められたいし褒められたい。つらいの嫌だけど充実感は味わいたい。そして金と時間を自由に使いたい。ってそれは無理。
結局のところ、あれこれやりたいことを考えてみたり、夢や希望を膨らませてみたにも関わらず、そのためのスタートが切れない、その行動ができない一番の理由は、選択できていないこと。決断できていないこと。何かを代償として差し出すこと、何かを捨てる勇気を持てないこと。
何かを手に入れるには、何かを捨てる。得たいもののための代償として差し出す。それは趣味かもしれない。時間やお金かもしれない。ときに大事な人間関係や仕事かもしれないし、プライドであるかもしれないし、大切なあの人との思い出だったりすることもある。
確かにまあ、捨てる、手放すと言われると、何だか損する気分になるし、失うことへの不安は大きくなる。でもね、注目すべきはそこじゃない。注目すべきは失うものではなくて、得られるものよ。
あなたが何かを代償として差し出したなら、手元にある何かを手放したなら、必ずそれに相応しい何かが手に入れられるということ。今失うことがあったら、それは新しいものを引き寄せる予兆であるということ。
差し出した代償の内容とその大きさに応じて、同等のものが必ず手に入る。それが物質的なものなのか精神的なものなのかは、その場そのときその状況によって違うでしょうが、結果は必ずついてくる。
なのに失うことばかり、捨てることばかりに心を奪われてしまうと、そこで固まって動けなくなる。後で気づいたときには、何でこんなもん抱えてたんだ? となるようなものを抱えたまま、結局何も手にできずに後悔することになるん。
ずっと両手に抱え込んだまま執着して、何も手放さない。すべて欲しい。そんなケチで欲張りじゃ結局何も手に入らないでしょ。
いや、ケチで欲張りでもいい。でもね、その抱え込んでいるものがホントに抱え込むほど価値のあることなのか。これから手に入れたいものと比較しても、持っておくべき意味のあることなのか。そこは良く考えたほうがいい。
捨てること、断つこと、失うことが目的じゃない。本当に得たいと思うものがある。そのために今両手がふさがっているのなら、その片手に持ってるものへの執着を手放さないと、手に入れられない。すべてはあなたが望む未来の幸福のため。
捨てることにも手放すことにも必ず意味がある。それはすべて今より幸福になるためのプロセス。
別れたあの人との思い出も、手放すから、復縁の可能性が生まれる。その執着を抱えている限り、次のものは入ってこない。だから手放す。代償として差し出す。すると結果的に、それが別れた人だったとしても、再びご縁が結ばれる可能性が生まれる。
<参考関連記事>
復縁への期待を手放すと、別れた彼を引き寄せる。復縁に執着すると、愛する人が遠ざかる。
愛も幸せも、あなたが欲しいだけ引き寄せることができるが、そのためには条件がある。無条件に全て手に入れられるような都合のいい話しは、この現実社会には残念ながら存在しない。
とはいえ、その条件は、それほど厳しいものでもない。何より、その条件を満たすために、今不要なものを手放すことができれば、前に向くエネルギーが沸いてくるから、心も体も楽になる。その上で愛も幸せ手に入るのだから、こんなにいい条件もないってことっすな(^。^)y-.。o○