誘ってほしいときに、やるべきこと。声をかけてほしいときに、するべきこと。
あなたが誘ってほしいように、あの人も誘ってほしい
一人でいる自分が好き、孤独が好き、って人だとしても、人は自分以外の誰かの存在がない限り、生きていくことはできないもの。
だって、この世界に存在するのが、あなた一人のみであれば、少なくとも言葉はいらなくなる。すると思考も不要だし、羞恥心なんかもいらないから、人が人である必要がなくなる。
もちろん、物理的にも協力してもらえる人がいなければ、できることは限られる。繁殖もできないから、ただ食って排泄して寝るだけ。ただ死ぬのを待つだけ。って、なんだこりゃ。
この世界に、自分以外の誰かがいるから、僕たちは人でいられるんです。人の存在を認め、人に存在を認められる。だからこそ自分の存在を感じられる。そこではじめてホッとできるし、安心できる。
僕が毎朝無料で配信している小川健次メールマガジンや、毎朝一言のLINEのメッセージを読んだり、YouTubeの動画っを観たいりたりすることも、自分以外の他者の存在を認識できるし。
つまりは、僕たちは誰であれ、自分以外の他者の存在を認めること、そして他者に自分の存在を認められることに、本能的な欲求を持っているということ。
逆に言えば、他人の存在を認められない、他人から存在を認めてもらえない、人とのつながりを感じられないと、無性に不安を感じるようになる。別に寂しがりやさんに限った話しじゃない。それは、人なら誰にでも備わっている根源的な資質。
でもね、会社や家庭、彼氏や彼女。普通に人とは関わっている。つながりはある。なのに、いまいち不安が消えない。さびしさから抜け出せない。そんな想いに駆られることもある。
それってのは、自分の存在を、いまいち認めてもらえているという、実感がないときでしょう。あなたを受け入れてくれている、という安心を得られないときでしょう。要するに物理的に、人との関係は存在しても、精神的なつながりが無いと思うとき。
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あなた自身が、他人からあなたを必要とする言葉がない。褒められたり、期待されたりするような接し方をされていない。そして誘われない。別に嫌われてるわけじゃない、避けられてるわけでもない。だけどさびしさや、なんとなくモヤモヤ感が残る。
その逆に、あなたを必要だとする言葉をかけられたり、褒められ、期待されたりする。そして誘われたりすれば、その相手の本意がどうであれ、やっぱり嬉しい。そこに仲間意識を感じるし、それだけで心がホッと落ち着くこともある。まあ単純ですわな。
誘って声をかけても嫌われることはない
誰だって、必要とされ、褒められ、期待されること。誘われることで、気分が悪くなることはないんです。いや、むしろ気分は良くなる。あなたも僕も、そしてあなたが想うあの人も。だってそれが、人に備わっている根源的な資質なのだから。
ならば、あなたもあの人に、必要としていること、期待していることを伝え、褒め、そして誘えばいいじゃないですか。それでマイナスになることは何もない。いや、むしろあの人はそれで喜ぶ、満たされる。あなたとの時間をもっと共有したいと思う。
もちろん、それでイヤな顔されたなら、そりゃ単にあなたがもともと嫌われていただけ。もしくはタイミングが悪かっただけ。その日は泣いて酒飲んで寝るか、タイミングをあらためればいいだけのこと。
誘ったこと、必要に想うことを伝えたことで、嫌われることなんてないですよ。そのこと自体は、誰だっで嬉しいし、そう接してくれるあなたのことは、認めたい。あとのことはご縁次第。ご縁があれば結ばれるし、そうじゃなければそこでおしまい。さようなら。
それにね、あなた自身だって、自分では何もしないまま、人には受け入れてもらおうとするってのは、ちょっとムシの良すぎる話でしょ。自分は人に声かけないけど、私には声かけなさいよ。って、どんだけ殿様だよ。
そうやって、あなたがじっとしてても、あなたの存在には誰も気づいてくれない。だから寂しい状態が続くんです。ならば、あなたから、まずは他人を褒めて認める。必要としていることを伝える。そして誘う。ボールはまずあなたが投げろ。
あの人は私を愛してくれいないかも。このチームで私は必要とされていないかも。そんな不安を感じるのは、あなたが他の誰かを認めていないときですよ。ただ自分を認めてくれることだけ、愛してくれることだけを待っているからでしょう。
だからまず、あなたがボールを投げる。すると、他人はそれに応えてくれる。受け容れてくれる。お互いがそこで認め合い。リスペクトし合いのキャッチボールが生まれると、そこに心が幸福感で満ち溢れた、愛ある関係が築かれるというもの。
繰り返し言いますがね、人は誰だって認められたい。自分を存在を知ってほしい。だから声をかけて欲しいし誘ってほしい。だから声をかければいいし、誘えばいい。それでNOと言われても、声をかけたこと、誘ったこと自体に嫌な顔をされませんから。
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NOと言われて断られても、大丈夫な理由。大切な人にノーと言われても、あなたは否定されていない。
認めてほしいなら、認めること。受け入れてほしいなら、受け入れる。誘って欲しいなら、誘う。あなたが思うのと同じように、相手もそう思ってる。ならば、あなたから、相手の想いに応えること。認めて受け入れる。それを示すためにも、声をかけてみる。誘ってみる。それが最初の一歩。
異性との関わりだろうが、同性、上司部下家族。どんな人との関係でも同じこと。それにね、人に愛され、人に声をかけられる人ってのは、往々にして、まず自分が人を愛し、人に声をかけてるもんですしね(^。^)y-.。o○