あなたが愛を注ぐように、相手もあなたに愛を注ごうとしている
■返ってきているのはあなたが注いだ分だけの愛
それがどんな形であれ、周りの人のあなたへの接し方の根底にあるのは愛であることがほとんど。ただその表現の仕方がちょっとズレる場合が多いので、お互いイラつくことがあるってのが問題なだけですよ。
まあそもそも、毎日の生活の中で、関わる人のほとんどすべてが、あなたの不幸を望んでない。いや、別に幸福も望んでないかもしれませんが、少なくとも不幸は望んでないのは間違いない。
だって、ある日あなたが孤独死して発見されたなんてニュースで見たら目覚め悪いでしょ。それがあまり知らない相手だったとしたって嫌ですわ。誰だって。
っていうのはちょっと例がオーバーですが、ホントは他人の不幸を心から望んでいて、心からの悪意を持つ人ってのはほとんどいない。
身近な人はもちろんのこと、顔見知り程度の人にしたって、誰もあなたの不幸を望む人なんていませんよ。
とはいえ気に入らないヤツがちょっと困ることになってりゃ「ざまぁwww」と思うことはあるでしょう。そりゃ人間だからしょうがない。が、それにしたってホントに心からの不幸を望んでるわけでもない。
さらに世の中には性根腐りきった外道もある程度はいますが、そんなのは一部の例外。身近にいることなんてあまりない。
あなたが過去によほどその人から恨まれるようなことやってりゃ、不幸を望まれることもあるでしょうが、それにしたってそんなに多くの数じゃない。
好きだ嫌いだ、合うだ合わないだもありますが、誰にとっても心底悪いと思うやつはそうそういない。
あなたが身近な誰かに何の気なしに言い放たれた一言や、ちょっとした行動にムカついたり、傷ついたりすることはある。でもそれは悪意じゃない。
あなたに不幸になって欲しくて言った言葉じゃなければ、あなたが嫌いでとった行動じゃない。そもそもそれほど意味も目的もあってのことじゃない。
こちらとしては、おいおい配慮しろよ、気を遣えよと思うこともある。でもそりゃ自分の都合。相手は相手の都合で言ったりやったりしてるんです。しかもそこに悪気はない。
そこにあるのは、あなたが注いだ愛と同じだけの愛ですよ。
■言葉や行動がずれてても気持ちは同じ
いや、だから困るというのも言い分としてはありますし、社会常識を逸脱していれば注意をする必要はありますが、そうでなければそこはあえて気にしない。いつものごとく華麗にスルー。
それがどんな内容であれ、相手にとってはあなたを傷つけたれとか、不幸になれとか、呪ってやれいう意味じゃない。少しずれてたとしても愛であることがほとんどです。
だから傷つくことやイラつくこと言われたりされたりしたとしても、間に受けない。気にしない。そんくらいの器の広さを持っても損はない。
それに相手が何を言うか、何をするかはこちらじゃ決められないし、結局のところ相手次第ですよ。こればっかりはどうにもならない。
<参考過去記事>
決めるのはあんたじゃない。割り切ればストレスもなくなる。
https://ogawakenji.com/archives/1669825.html
それでもどうしてもムカつくときは、あーこの人はこういう人なんだーと割り切る。切り替える。諦める。悪意はないけどそういう人なんだからしょうがない。愛があるのはわかった。でもそんなもんだと思って納得すればいいことです。
もちろん悪意を持った相手には徹底抗戦100倍返し。感謝とかありがとうとか知ったことか。やるならやれ。くるならこい。
とまあ、そんなことは実際にはほとんどない。
あなたが力になりたい。相手のことを支えたい、いつも気にかけていたい、そう思うように、あなたの身近な誰かも皆あなたに対してそう思ってくれてるもんです。
ちょっと言葉や行動がたまにずれるかもしれない、コミュニケーションに行き違いがあるかもしれない。それでもあなたを傷つけようとしているわけじゃない。あなたが注いだ愛の分だけ愛を返そうとしてくれてるんです。だから許せばいい。許せなきゃスルーすればいい。
そう考えてみれば、誰が何を言ったかとか、何をやったかとかで、いちいち傷ついたり凹んだりすることなんかありませんわ。それらはちょっとずれてたとしても、あなたに対する愛であることに変わりはないのですから。
と、ここまで言っておきながら、それでもやっぱりブチ切れるときはある。そんときゃそんときでブチ切れる。それでもお互いに愛があることさえ忘れなけりゃ大丈夫ですよ。つまりは現実感を伴うバランスが大事ということですな(^。^)y-.。o○
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