もっと自由に、もっと自然に振る舞っても大丈夫。あなたが考えるほど、あなたのことには誰も興味を持ってない。
■誰だって忘れるし気にしてない
自分と関わる人が、自分のことをどう思っているかというのは、誰であれ少なからず気になるもの。
でも実際には、誰もあなたのことなんか露ほどにも考えていないし、気にもかけていやしませんよ。
ちょっとばかり昨日の記事ともカブりますが、仮に何か考えてたところで、そのほとんどは単なる思いつき。何か言ってもその場だけ。
みんな忙しい。あなたも忙しいし僕も忙しい。その中で特定の誰かのことについて、延々と考えてることなんかないでしょ。その特定の誰かの一挙手一投足を観察して、それを日記につけることなんてしないでしょ。
他人は自分が思うほど、その人のことなんて考えてなんかないんです。
ちょっとした失敗。ちょっとした失態。それ他人は誰も気にしてないから。あーそーなんだー。へー大変だね。そして翌日には記憶からも自動消去。
気にしてるのは他人じゃなくて、あなただけ。他人にとってはあなたの失敗や失態なんてのは、酒の肴くらいにはなるかもしれませんが、その人の思考を支配するほどのことじゃない。
言ってしまえば、誰でもが自分の人生の主人公ではあるけれど、他人の人生にとっては所詮その他大勢の一人にすぎない。怪獣に踏み潰されたりする名も無き登場人物Aでしかないんです。
にも関わらず、あの人にこう思われたらどうしよう。あの人に誤解されているのじゃないか。んなこと考えてもしょうがない。それで右往左往するのもバカバカしい。
そもそもあの人はあなたのことなんか考えてない。あなたが何を言って、何をしたかさえ気にしてないし覚えてないんだから。
なのに小さなことを気にして、あれこれ妄想を膨らませるから、ときに手が付けられないような大きな火事になるんです。
<参考過去記事>
図解あり/人間関係の不安と心配は放置しとけば勝手に消える。自分で煽らないガソリン注がない。
むしろ、他人が気になってしょうがないほどのインパクトあることをしているなら、それはそれで逆に評価されていいことでしょう。
だから、まだまだ自由に振る舞える。もっともっと自由にいろいろ考え、いろいろ行動できるはずなんです。
■知らない他人より身近で大切な人のこと
一方で、あなたのことを考えてくれている人もいる。あなたを大切に思ってくれて、いつでも気にかけてくれる。そしてあなた自身も大切だと思える。そういう人はいるでしょう。
そういう思いには応えればいい。そういう人をわざわざ傷つける必要なんかはありませんよ。いや、もちろんそれでも最後の最後は自分の選択ですが。
逆に、あなたのことなど大切どころか、別に考えてもいないような人に、どう思われているかを気にして行動が止まったり右往左往したり、ましてやストレスを感じるなんて無駄以外のなにものでもない。
っつーか、そんなことで必死に苦しんでみても、あなたはもちろん他人も含めて、誰も幸せにならない。まあ僕がアホなやっちゃwwwと笑うくらいでしょうか。
いやまあ必死になるのはいいんですがね。そのエネルギーの使いどこでしょ。誰も幸せにならないどころか、自分で余計な妄想を膨らませて、わざわざストレスになることに必死になってどうすんの?ってことですよ。
ほとんどの人はあなたにとって通りすがり。性格や人柄の良し悪しに関係なく、あなたの人生に大きな影響を与えるようなことのない人ばかりです。そしてそれは、向こうから見た場合も同じこと。
だから気にすることなんてない。その人たちにどう思われるかなんて考える必要もない。だってその人たちはあなたのことなんか、気にもしてなきゃ考えてもいないんだから。
そこを気にするなら、自分にとって大切な人、自分にとってかけがいのない人たちのことを考えてるほうが、はるかにマシですよ。無駄なエネルギーはそっちに向ければいいんです。
<参考過去記事>
誰を笑顔にできるかを想像してみると、自然と迷いはなくなる
まあ関係の有無に関わらず、自分以外の他者の存在やその力によって社会が成立しているのも事実。それはそれで感謝すればいいことたし、その維持のための常識はわきまえる必要はある。されに還元できるものは還元すればいい。
それでも結局最後は自分次第。できることも限られている。
実際にはほとんど見られてもいなけりゃ、関心さえ持たれていない他人の目を、想像の中で必死に気にして右往左往するエネルギーは、自分と自分の大切な人のため、もっと自由に使ったほうがいいでしょう。
そのほうが結果的に世の中に還元できるものも多くなりますしね(^。^)y-.。o○