手放す勇気が新たな出逢いや喜びをもたらす。失うことへの恐れよりも、前進できる幸福に目を向けよう。
■手放せば手に入る
人それぞれのキャパシティには多少の違いはあるにせよ、持てる量には限りがあるし、できることにも限りがある。
時間は有限。誰にでもいつか必ず死が訪れる。それまでに持てる量とできることには限りがある。
だから全部を抱え込もうとすれば、必然的に何も手に入らなくなる。
それは、誰かに嫌われるのを恐れていれば、何もできなくなるのと同じこと。その人から嫌われないことを大事にしていれば、やりたいことは諦めるしかない。
そのどちらが良くてどちらが悪いということじゃありません。そのどちらかを選択するか、僕たちを皆いつでも迫られているということ。だって抱え込める量は限られているんだから。
過去の良かった思い出だけに固執していれば、新しい発想も生み出せないし、新しい出逢いとも遠ざかる。まあ、それはそれでいいんです。そういう選択を望むなら。
もちろん人生常に二者択一ということばかりじゃない。時に玉虫色の折衷策というのもあるでしょう。それにしたって、その分かけるべきエネルギーを分散させるという選択をしているに過ぎない。
だからと言って、選択によって手放すことを悲観する必要なんかないでしょ。だって手放すということは、同時に何かを手に入れているわけだから。
<参考過去記事>
図解あり/得られる成果は差し出された代償に比例する。何も差し出さなければ何も得られない。
手放すものは、時間なのかお金なのか。それとも友人なのかはわからない。でもそれを手放す勇気を持てるから、新しい何かを手に入れられる。そしてその喜びを感じることができるということ。
ひきずってる思い出や、無価値な人間関係を手放すから、新しい人との出逢いが生まれる。だから刺激が生まれるし、だからさらに新しい発見が得られるというものでしょう。
つまりは手放す勇気を持てるからこそ、前に進むことができるというもんですわ。
■執着心は停滞を招く
ときには自分の意思とは無関係に、手放さざるをえなかった。不可抗力によってそうなってしまったということもあるかもしれない。
それが悲しい悔やまれる。そう思うこともあるでしょう。ならばその感情も手放すことですよ。忘れる必要はないし、忘れることなどできないかもしれない。それでもそこから立ち直ったときに得られることに目を向ける。
過去を教訓にできなくても、経験は未来に活きる。手放せば必ずそれと同等のものが手に入る。
手放すことは、大事なものを失うことではない。より大事なものを得るためのプロセスにしか過ぎませんよ。だからそこに不安や恐れを感じる必要はない。
無意味な執着心は停滞を招くだけ。イメージで比較してみればいいんです。今自分が執着していることに生み出されるものの価値と、それを手放すことによって生まれるものの価値。どちらが自分にとって高いと思うか。
その上で手放すべきでないことは、守り抜けばいいだけのこと。誰にでも譲れないものはある。死んでも守りたいものはある。
一方、あれ?これってこだわってることか?と思うことならさっさと手放せばいい。そして手放すことで得られる喜びに目を向けてみればいい。それだけでヤル気が自然とみなぎってくる。
だいたい、手放して本当に困ることなんて実のところそうそうないでしょ。自分の勝手な思い込みでそんな気がしているだけで。
<参考過去記事>
しがらみは自分がそうだと思っているだけ。断ってしまえば実はどうということはない。
冒頭でも言いましたがね。僕たちは皆、できること、やれることは限られている。その限られた中に、どうでもいいようなことがあるんであれば、さっさと手放してしまうことでしょう。
勇気を持って手放してしまえば、実はもっと楽しくて価値あること。さらなる幸福が手に入るってことでしょうな(^。^)y-.。o○