他人の言葉それ自体には意味がない。他人の言葉をどう解釈するかで意味が生まれる。
■意味付けをするのは自分
日常生活で目や耳にするさまざまな言葉やイメージの情報。それらが僕たちの潜在意識に対して大きな影響を与えているというのは事実としてある。
潜在意識とまで言わないまでも、目や耳にする情報の内容によって、喜んだり笑ったり、ムカついたり悲しんだりすることはあるでしょう。
そういう意味でも、僕たちは日常生活の中で、どんな情報に触れているのか、五感を通じてどんな情報を潜在意識にインプットすればいいのかというのは、それなりに考えるべきではある。
とはいえ、言葉や情報はそれ自体には何の意味もない。それがどんな内容の情報だろうと言葉であろうと、それを聞く側の受け止め次第で、その意味はまるで違う内容に大きく変わるから。
もっと言えば、その言葉や情報の存在自体に触れていたとしても、気づかなければ何も聞いてないのと同じこと。存在しないのと一緒でしょ。
だから他人に何を言われた、どこどこでどんな話を聞いたかなんてのは、そのこと自体はどうでもいい。それ自体に意味がないんだから。
大事なことはそれをどう解釈し、どう意味づけして、自分の心にどう落とし込んでいるかということですわ。
自分の周囲は否定的なことしか言わない人ばっかりなんです。ってそれは、その周囲の言葉を否定的に意味づけして解釈しているからでしょう。そしてそういう観点でその人たちのことを見ているからなんです。
もちろん客観的な事実として発話の回数そのものが、一般的に否定的と分類される種別のものが圧倒的多数ということもある。つまりはホントにネガティブ。
それにしたってその状況に対する意味づけと解釈次第で、違うものが見えるはず。例えば、その状況を変えるための発想を求められていると考える。その中で自分が活きる方法を見つけることを求められている。など。
<参考過去記事>
しんどいことや苦しいことは、あなたのためのテストの一つ。本当にその道を進みたいか、本当に幸せになりたいかが試されている。
五感を通じて入ってくる情報は、言葉に限らず何であれ受け手の意味づけ次第でどうにでもなる。
■本来は意味などない
誰が否定的で、どこがマイナスかなんてのは誰が決めるものではなく、その受け手が決めるもの。
だから誰に何を言われようが、どう思われようが、それこそどこで何があろうが関係ない。いや関係ないは言い過ぎかもしれませんが、受け手次第であることには変わりがない。
それを心と頭でどう翻訳するか。どう意味づけするかだから。
逆に言えばどんなに周囲が積極的であろうとも、それをマイナスな意味づけしていればマイナスになるってことですよ。結局最後は自分次第。幸も不幸も自分が決める。自分以外の誰も決めようがない。
そしてその解釈はイメージを形づくり、そのイメージが自分の思考と行動を支配する。自分で自分について描くイメージもそうやってつくられる。
自分に対して無価値な話題は華麗にスルー。これ基本。スルーできなきゃ意味づけと解釈を変えてあげればいいんです。どうすればそれを肯定的に意味づけできるかを考えればいいじゃないですか。
他人の言葉それ自体には何の意味もないんです。それこそ物理的な事象であろうが環境だろうが、そのこと自体には意味がない。
それを誰かが意味づけした瞬間に意味は生じる。そしてそれをどう意味づけつるかは個々人の自由。そこに制約は何もない。
<参考過去記事>
心にダメージを与えているのは他人ではなく自分自身。心のフィルターを調整すればダメージは軽減できる。
時に周囲の言葉や、環境や状況に惑わされてしまいそうになることもあるでしょう。そんなときこそ自分に問いかけるんです。それは自分がそう解釈しているだけじゃないかと。ホントは良いも悪いもないはじゃないかと。
すると視界がクリアになる。実はそこには何の意味もないことがわかるから。あとはそれを好き勝手に、自分にとって価値ある内容に意味づけと解釈すればいいだけのことだから。
すべては自分の心次第ということですわな(^。^)y-.。o○
肯定的な意味づけと解釈をする心のクセを体得するには。
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