悲しみは一度受け容れてから解き放つことで自らの糧になる。悲しみを拒んでいれば立ち直りから遠ざかる。
■悲しみを知るからわかること
毎日腹かかえて笑い転げことばかりな毎日であれば、そりゃもう楽しくてしょうがないでしょう。
でも現実はなかなかそういうわけにもいかないもんです。
生きていればいろいろありますわ。
楽しいことも一杯あるしつらいことも悲しいこともいっぱいある。
出逢いもあれば別れもある。生きて別れることもあれば死んで別れることもある。
望み通りの結果を手に入れるために、断腸の思いでしんどい決断しなければいけないこともあるでしょう。
そして、僕たちの心を断崖絶壁に追い詰める上で、ひときわ大きな仕事をしてくれるのが、悲しみというやつ。
さらにそれは、予想もしていないときに予想もしていない方向からやってきて、これでもかというくらいに身も心もボロボロにしてくれる。
ところで、成功哲学の祖ナポレオン・ヒル博士はその著書『思考は現実化する』の中でこのように述べています。
好き好んで悲しみを招く人はいない。けれども、悲しみは人間を謙虚にさせ、協調的な人間関係をつくる。意見の合わない人や自分を傷つけた人に対しては、批判や非難で対応したくなるが、大きな悲しみを味わったことのある人は、そんな当たり前のことはしない。
ナポレオン・ヒル著 『思考は現実化する』(きこ書房)
痛みを知っている人間だからこそ、人の痛みがわかる。苦しみを体験しているからこそ、人の苦しみがわかる。同じように悲しみを知っていれば、人を悲しませるようなことはしないのでしょう。
そして同時に苦しみや悲しみのさなかにある人に対して、手を差し伸べられる優しさと余裕も育まれていくもんです。
そういえば、少しばかりニュアンスは違いますが、北斗神拳究極奥義である無想転生を体得する上では「哀しみ」を知っているかどうかがカギでした。
人に対してはもちろんのこと、悲しみを体験することで自分にだって優しくなれる。冷静に過去と今の自分を見つめなおす良い機会にだってなりますわな。
そして大事なことは、どんなに深い悲しみにその身を委ねることになっても、必ず立ち直ることができるということ。立ち直ったときにはそれ以前より成長しているということでしょう。
■受け入れて解き放つ
誰だっていろんなものを背負ってる。多くの悲しみを経験してきてる。
でも、今はこうして立ち直ってる。
いや、現在悲しみ真っ最中の人もいるかもしれませんが、それだってこれまでと同じようにいずれ必ず立ち直れる。
<参考過去記事>
誰だって過去あらゆることを乗り越えてきた。それを自信にすれば、これから先も乗り越えられる。
いくつ歳を重ねようが日々幾多の経験を通じて、僕たちは成長し続けるわけじゃないですか。別に何か哲学的な問いではなく、ただ単純に経験値の積み上げが成長の度合いという意味で。
それがなんであれ、つらいことを乗り越えてこれた、悲しみから立ち直れたという事実は、この先のつらいことも、悲しみも乗り越えることができることを証明しているんです。
そしてそれらを乗り越えるほどに人としての器が大きくなっていくのでしょう。
余談ですが、恋愛におけるいい男といい女の価値の基準は、ボロ雑巾になった回数で決まるもんですよ。これはほぼ間違いなく。まあそんだけ磨かれたという意味で。
だから悲しみを拒む必要もないでしょう。一旦受け容れて、やがて解き放てばいいんです。拒んで現実逃避したところで起こった事実は変わらないし、何の問題解決にもならない。
さすがに悲しみにウェルカムとはいえないでしょうが、やがてそれは去り、立ち直ったときには一層強くなっている自分がいるということだけは忘れないことです。そうすれば最後の最後で心は折れない。
もちろん悲しいことの基準なんて人それぞれ。また悲しみ方も人それぞれ。でも基本は同じ。受け容れて解き放つ。
悲しみ方もそれぞれといえば、買ったばかりのソフトクリームを道路に落としたことで、ショックにうちひしがれ、はいつくばって嗚咽するほどの悲しみを感じる人もいました。ええ。それはもちん僕ですがね(^。^)y-.。o○
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