心のレンズが歪んでいるから物事を素直に見れない。苦しんで傷が深くなる前に心のレンズを矯正しよう。
■疲れたら休めばいい
そりゃ誰だって毎日いろいろありますよ。肉体的に疲れることもあるでしょうし、精神的に疲れることもある。
仕事であれ、家庭であれ、友人関係、恋愛、趣味など。いろいろな場面でいろいろなことがある。もちろんいろいろの内容は人それぞれ。
男であろうが女であろうが、男の子だろうがおっさんだろうが、女の子だろうがおばさんだろうが、いろいろあれば疲れることもある。肉体でも精神でも。
疲れていると、一時的にでも視力が落ちたりするじゃないですか。視界がぼんやりすることもあるでしょ。それ心も同じ。
疲れて心のレンズが歪んでくるんです。感じるもの、見えるものがいつもと変わってくるんです。
他愛もない些細なことなのに、心のレンズが歪んでいるから、それがネガティブなものに見える。感じる。だから余計な妄想が膨らみはじめる。
疲れているから、それが単なる誤解や妄想だということを客観視できない。そして普段なら絶対言わないような、人を傷つける言葉を発したり、冷静さを欠いた行動をして後悔することになる。
疲れているから、目の前の人を見誤る。大切な人を失うようなことをしてみたり、どうでもいい相手になびいてみたり。
結局自分で自分を傷つけるだけ。傷ついた上に、さらにセルフイメージまでも下がって、もう踏んだり蹴ったりで目も当てられない。
そんな自分にまた疲れ、心のレンズはますます歪んでいく。
だったら休めばいいじゃない。休める時間、安らげる場所を見つけることですよ。
<参考過去記事>
心が弱っているときは誰かに頼って声にすればいい。声にすれば感情を吐き出せて、力を取り戻すきっかけになる。
休まないから、一生懸命やっているはずなのに、頑張っているはずなのに、なぜか慢性的な疲れが抜けなくなる。なぜか自分のやっていることが腑に落ちないし、どうも納得感が抱けなくなる。
■戦う意味と休む意味
心のレンズは安らぎの伴う休息によって、歪みが矯正されるもの。元気で明るいときってどんなことでも冷静に見れるじゃないですか。積極的に物事考えられますよねえ。
まぁ単にしんどいことから逃げ出したいだけの甘ちゃんだったら、休んだところで時間の浪費。まだまだいけるところまでもっとやれ。
上で言ったような話しにピンときて、心のレンズの歪みがあるなと自覚するならば、休めばいいんです。
そのときは現実からできるだけ距離を置くことですわ。
現実に関わっていると、いつまでたっても回復できない。休んでいるのに業務メール見てたり、疲れる相手とのやり取りしてても休む意味ない。
それが旅行をすることなのか、家に引きこもることなのか、支えてくれる人に思い切り甘えることなのか、そりゃ人それぞれ違うし何でもいいですよ。
大事なことは安らぎのともなう休息。
心のレンズが矯正できればそれでいいんです。そして回復したらまた現実に戻る。
最後は現実と戦わないといけない。ここから逃げてもしょうがない。
逃げるのではなく、戦うために心を整える。そのための休息ですよ。単に逃げ口上のための休息はそれこそ現実逃避。
すっきりして心のレンズが矯正されれば、物事を冷静かつ客観的に見ると同時に、建設的で肯定的なものの見方ができるようになるもんです。
まあ休むにしても戦うにしても、それが自分にとってどんな価値をもたらすのか、設定した目標に対してどんな意味があるものなのか、それらがはっきりしていればいいだけ。
<参考過去記事>
自分の弱さを知っているから強くなれる。
ただ目標もなく、目的意識もなく、漠然と流されるままに惰性で戦っていたり、惰性で休んでみたりするから疲れるし、疲れが抜けないということでしょうな。
そういう意味でのメリハリがあるかどうか。結局のところそこが一番大切かもしれませんね(^。^)y-.。o○