満たされているものに心を向けるともっと満たされて幸福になる。欠けているものに心を向けるともっと失い不幸になる。
■捨てる覚悟によって手に入る
それが物理的なものであるにせよ、精神的なものであるにせよ、持つことができるものには限りがある。
すべてを手に入れることができれば最高。とはいえ、どんな人にも現実には時間的にも物理的にも限界はある。
だからどんな場面においも優先順位に基づく取捨選択をせざるをえない。意識的にそうするか無意識のうちにそうするかのいずれにしても。
ときに何かを得ようとするならば、時に何かを失うこともあるでしょう。何かをしようとすれば、何かを諦めなければいけないこともある。
そこで失うものにばかり目を向けてしまえば、誰だって臆病にはなりますよ。それまで手にしていたものを手放すのは嫌だし、失いたくはない。なのでそれを守ることにエネルギーを注くことになる。結果、前進へのエネルギーが足りなくなるのはいわば当然。
でも失うことでホントのホントに困ることって何ですか?それは永遠に取り返しのつかないことですか?
一方で、何かを失うことで得られるものの価値っていかほどのもんなんでしょ。臆病になって守りに入って、取りにいかなくても納得できるものなんですか?だったら最初から何も望まなければいいだけでしょう。
失うものがあれば得られるものもある。何も差し出さなければ何も得られない。
<参考過去記事>
図解あり/得られる成果は差し出された代償に比例する。何も差し出さなければ何も得られない。
そこで失うことにばかり目を向けていれば、結局何も得られないだけじゃない。失うことに対する不安ばかりにとらわれる。
■満ち足りている今を認めること
欠けたところで、失ったところで人生に行き詰まりを感じてしまうほどの大事なんて、ホントのとこは誰だってそうそうないはずですよ。
変なところで完璧主義。これが足りないと困る。これが欠けると不安。だからあれもこれも失いたくない。自分で自分の心に波風立てる材料を探し出す。
実は満たされていて、その手にあまるくらい多くのものを持っているはずなのに。何かを捨てなければもうリュックに入らないくらい詰まっているのに、欠けると不安。だから手放せない。でももっと欲しい。みたいな。
まず満たされていることに目を向けるべきでしょう。すでにできてる自分を認めて褒めてあげることですよ。そうすれば今の時点で不要なものは切り捨てて、より幸福になる方法へと舵を切れるんです。
一方で欠けていることにばかり目を向けていると、ただただ守りに入る。奪われる恐怖と失う不安にとらわれて行動が止まる。いよいよ何も得られないから不幸度合いが加速する。
<参考過去記事>
幸福に目を向ければ幸福になり、不幸に目を向けると不幸になる。起こることの原因は常に自分の心にある。
満たされている感情は、潜在意識で満たされているイメージを形成するし、欠けている感情は、潜在意識で書けているイメージを形成するんです。それが結果的に日常の思考と行動に現れる。
もちろん貪欲なのはいいことで、素直な欲求は行動へのモティベーションになるので、欠けているものを満たそうとすることは大事。
同時に満たされている自分を認めつつ、よりステップアップするための行動、そしてそのために今の時点で不要なものとは決別すっる潔さも大事なことでしょう。
まずは今の幸福を喜ぶというところからでしょうな(^。^)y-.。o○