好きは好きだし嫌いは嫌い。周りの評価に惑わされずに自分の感覚を信じよう。
■好き嫌いに理屈はない
ある一つの出来事に対して、それを肯定的に感じる人も否定的に感じる人もいる。僕は牛乳飲めませんが、牛乳大好きな人もいる。人生いろいろ。好き嫌いいろいろ。みんな違ってみんないい。
他人がどう思おうが、どう感じようが関係なんかないですよ。
何が大事かって、そりゃ自分が何が好きで何が嫌いか。自分が何を信じて何を信じないか。つまりは自分の感覚であり自分の感性ですわ。
例え自分の尊敬する人が好きなものであろうと、自分が大切な人が愛したものであろうと、それはそれ。自分と合わないことは合わない。それでいいじゃないですか。
逆に、自分がムカついて人が好きなものでも、呪ってやりたい人が愛したものでもそれはそれ。自分と合うものは合う。それでいいんです。
結局は感覚の問題だから。そこに変な理屈を持ってきたり、そこで他人からの評価を気にするから、自分の感覚に素直になれない。中途半端に他人の意見に右往左往するんです。
多くの人にクソつまらないとコキ下ろされるような作品でも、自分がそれに感動するならそれでいい。別におかしくもなんともないですよ。多くの人に絶賛される作品でも、自分がクソつまんねーと思うならそれでいいじゃないですか。
まあそういう話題になっているときの場の空気はあるので、そこにわざわざ水を差す必要がありませんが、かといってそこに迎合する必要もないでしょ。
もちろん他人の意見や考え方から、新たな視点を見出すことで、それまで嫌いだったものが好きになる。そういうことはよくあることだし、それはそれで視野も拡がるのでむしろ歓迎。
好き嫌いなんてのは、そもそも理屈じゃないし感覚ですよ。だから理由なんか無いし、その感覚が良いか悪いかなんてない。
<参考過去記事>
愛に理由は無い。理由がないから説明できない。説明できないから行動と結果で示すしかない。
だから自分の感覚を信じればいい。自分の感覚は自分にしかわからない。
■あなたの感覚を認めてくれる人がいる
信念がどうのとかいう、堅苦しい話しをしているわけじゃない。好き嫌いの感覚はある意味で個性。その自分の個性を他人や周りの空気に同調させたところで、自分の個性を消し去るだけでしょ。ということですよ。
しょうがないでしょ。好きなのは好きだし。嫌いなのは嫌いなんだから。それでいいじゃないですか。そこで他人の感覚にあわせて自分の感覚まで合わせる必要なんかありませんわ。
繰り返し言いますが、偏狭な視野の持ち主がいいと言ってるのではありません。意見は聞けばいい、その上で受け容れられれば受け容れればいい。
受け容れられないもんは受け入れない。牛乳の美味さを滔々と語られても無理なもんは無理。
自分のパーソナリティを無責任な他人や、世の風潮なんていう形のないもので、揺るがさないことですよ。あなたの感覚はあなたの感覚。そんなあなたのパーソナリティを認めてくれている人がいるんです。
それがどんな感覚だろうが、それは自分のものである以上、自信を持っていいことだし自信を持つべき。他人にとやかく言われる筋合いもなければ、そもそもあなたの好き嫌いにとやかく言うほど他人は暇じゃない。
自分は自分。それは適当に取り繕ったところで変わらない。だったら思うことや感じることに素直であればいいだけでしょ。
<参考過去記事>
自分を不必要に良く見せようと思うからぎこちなくなる。等身大であれば自然体になれるし信頼される。
まあ物理の法則でもなきゃ、明確な解なんてありませんよ。社会規範に適合するかしないかなんて問題もありますが、それだって明確な答えなんてありゃしない。
他人の意見や、周囲の評判云々なんて気にしないで、自分の好き嫌いの感覚に素直になればいい。そのほうが疲れませんしね(^。^)y-.。o○