相手の心に寄り添うことができるから、ストレスがなくなる。相手と自分の違いを認められるから、心地よい関係を築ける。
■見えるもの感じるものは人それぞれ
そこに何があるか、そこで何が起きたのか。そして誰に何を言われ、どう扱われたのか。それを決めるのはあなたの心。
同じように、そこに何があるか、そこで何が起きたのか。そして誰に何を言われ、どう扱われたのか。それを決めるのはその人の心。
熱っっいお茶入れてるのに、ぬるい!とわめくバーコード頭の上司にとっては、そこにあるのはぬるいお茶なんです。
皆が楽しく騒いでいる中にあっても、それをつまらないと感じる人にとっては、その時間は楽しいどころか苦痛以外のなにものでもないでしょう。
要するに客観的な評価としての事実がどうかは、それを感じる当人にとってはまたく関係ない。その場にいる本人の心が、その場そのときその状況をどう感じているか、どう反応しているか、が重要なんです。
だからまずは、相手が何を見ているか、何を感じているかを理解しない限り、コミュニケーションのギャップが埋まることはないですよ。
あなた自身がそうであるように、相手も相手の世界の中、その価値観の中で考え判断しているんです。そこを無視して上っ面の言葉のやりとりだけで決めつけるから、行き違いボタンのかけ違いになるんです。
自分は自分。人は人。あなたが好きなものを相手が好きとは限らない。あなたが嫌いなものを相手も嫌いだとは限らない。それを無視して表面上の相手の態度だけ見て決めつけないことですよ。
もちろん、そのすべてを理解することはできないのはしょうがない。それでも、それを理解しようと思えるかどうか。それを理解しようと、相手の心に寄り添うことができるかどうかでしょう。
<参考過去記事>
図解あり/お互いの世界観を尊重し合えるから、マスターマインドの関係性がつくられる
別に相手の顔色うかがえということじゃありませんがな。相手がなぜそういう態度を見せるのか、相手がなぜそういうことを言うのかを、少しくらいは考えてみてもいいということ。
だってあなたはあなたで他人は他人。あなたの世界と相手の世界は違うんです。その何が違うかもわからないままにするから、すれ違うし噛み合わない。
■相手の世界を認めるとストレスは無くなる
違ってたっていいんです。そりゃ違うのは当たり前でしょ。上司部下だろうが、親子だろうが夫婦だろうが違う人間なんだから。
とかくお互いの共通項が多いと、その当たり前のことをつい忘れがち。あれもこれも共通だから。それでうまくいっているときはいい。
でもお互いはそもそも違う、ということを忘れていると、どこかで違いを見つけた時に厄介ですよ。あれ?なんでわかってくれないの。わからないアンタはおかしい。理解できない。意味わかんない。
どんな良好な関係であれ、すべてが合ってることなんてないですよ。お互いの違いをわかって、それを理解しながら歩み寄れるところは歩み寄り、合うところでは最大の力を発揮する。そういうもんじゃないですか。
だから、もし相手の反応が、あなたの期待するものじゃかったとしても、それでいちいちイライラしたりしないことですよ。相手は相手の世界の中で、自然と思う反応をしているだけだから。
それより相手がどういう感覚に基づいて、その反応をしているかということについて、少しくらい相手に寄り添って考えてみればいいんです。
それにしたってわからないこともあるでしょう。そりゃしょうがない。それでも、そうやって考えることで、相手の世界を認めようとすることが重要でなんです。それを頭ごなしに否定してあなたの世界を押し付けないことですよ。
あなただって自分の世界を否定されりゃ気分悪いでしょ。それが身近な人であれ大切な人であれ。だからまずは受け容れて、歩み寄れるところは歩み寄る。
その逆に、まず受け容れてもらえれば安心できる。だから信頼しようという気持ちになるし、一緒にいて心地よい関係になれる。
歩み寄れないところがあっても。それはそれで、お互いの間にそういう懸念がある、ということ。わかれば対策も考えられる。それだって違いを認めないとわからない。
<参考過去記事>
相手も同じだと思うからストレスになる。みんな違うことを認めればストレスから解放される。
人間関係がぎくしゃくすることがあるならば、ちょっと頭を冷やして考えてみるといいですよ。自分の世界のことだけ考えていて、他人の世界を否定していないだろうか。自分の価値観と相手の価値観を同一視していないだろうか、と。
そんな余裕を持つだけで、ストレスはかなり軽減するでしょうな(^。^)y-.。o○