信じていれば遠く離れていても、心は近くでつながっている。疑いや不安は、心の距離を宇宙の彼方まで遠ざける。
■揺るがずブレない心が距離を縮める
目に見えないことや体で感じられないことはわからない。いや、わからいことはない。ある程度のことは推察できる。
それでも確証を得ることはできないし、確証得ても、その目で見て自ら体感しない限りは納得できないこともある。
だから最後は信じるしかない。それ以外にない。だってわからないんだから。目に見えないし体で感じることができない以上は自分の心に頼るのみ。そう信じること。
信じる思いが確信にまでなってくれば、それがもう当然という意識がうまれる。それが成った前提でモノを考え、行動するようになるんです。だからブレることがなければ、揺らぐことだってない。
大切な相手との物理的な距離が遠ざかっても、達成したい目標までの道のりが遠くても、相手を信じる、目標を達成できると信じる。するとブレない揺るがない。
信じているから無償の愛を注ぐことができる。だから相手もそれを受け入れて、結果的に愛を返してくれる。その双方向の関係が成り立っていれば物理的な距離なんて、まるで関係ないことですよ。
目標だって同じこと。達成できると信じているから、全力注ぐことができるもの。多少の障害あろうが、何が何でも乗り越えようと思うもの。そして実際乗り越える。
距離なんて関係ないんです。信じていれば心は必ず近くにある。
出逢いにしたって同じことですよ。このビジネスであれ恋愛であれ、この人いいなと思えば、そこで疑いよりも信じることからスタートするもの。だから縁が結ばれる。
<参考過去記事>
図解あり/信じるから縁ある人と結ばれる。疑念や不安は縁ある人を遠ざける。
どこかで、この関係ヤバいかも。自分愛されてないかも。そう考えるから、その想いが行動と態度に出る。だから愛を注げない。注いでも相手の顔色見ての打算。だからホントにうまくいかない。
この目標達成できないかも。今のうちに逃げ道と言い訳を作っとけ。そう考えるから集中できない。思考がだんだん横道にそれはじめ、気づいたときには、え?目標?何それおいしいの?
■疑いや不安は大切なものを遠ざける
とはいえ、明らかに疑わしい場合もある。明らかにそこに愛がない関係もある。そういう場合はくだらない現実逃避をしないでスパッといくだけ。ダラダラしてても時間の無駄。
どう考えたってできないことを、できると言ってるのも同じこと。人は空を飛べないし、念写で行方不明者探せない。んなこと言ってるんだったらできることやれと。
そういう場合でもなきゃ、あとは信じるしかありませんよ。距離ある相手のことはわからない。未来の目標達成できる確証は誰もしてくれない。だったら自分を信じる。相手を信じる。目標達成できると信じる。
不安を抱かないことです。疑念をもたないことです。どうせ何やったってダメんなるときゃダメになるんだから。あれこれ考えたってしょうがない。ドーンと座って構えて酒でも飲んでりゃいいんです。
信じるからこそ相手を近くに感じられる。信じるから目標が達成できそうなワクワクした想いになれる。つながりは信じることで保たれる。
仮に迷うことがあっても、そこで余計な探りを入れてみたり、余計な駆け引きしたりもしなくていい。そんなことするなら素直に思うことを言えばいい。信じていれば明け渡せる。
<参考過去記事>
自分の想いに素直になれると、縁が広がり愛が近づく。駆け引きと計算は、縁が結ばれず愛も遠ざかる。
信じると裏切られるんじゃないか。そう不安に思う人もたまにいますがね。そうやって人の信じる想いに乗っかって裏切るようなことするヤツと関わること自体が自己責任。そういう相手を受け容れるスキが心のどこかにあるのでしょう。
まあでもそれも経験。その繰り返しでボロ雑巾になりながら、人間磨かれていくと考えれば、後になってから成長の機会になったと笑いながら話せますよ。
ともかく、まずはどんなことであれ信じるところからですよ。信じれば疑いも不安も消えてなくなるから。それが人で目標であれ、自分にとって大切なものを近くに感じることができるから。
逆に疑ったり不安になったりすることは、それらをすべてはるか宇宙の彼方に遠ざけるのと同じこと。そして逆噴射機能が無いので帰ってくることもない。
何より疑うより信じたほうが、どんな事にも心地よく清々しい気分で取り組めるってもんですわな(^。^)y-.。o○